■[雑記]C76 2日目レポートだし!
多分他所でも散々言われているでしょうが、東方で地獄を見ました…
コミケには10年弱参加してますが、ここまで大変だったのは初めてです。
私は若くないので早々に諦めて同人ゲームやってる友人のトコでへばってました…
しかも参加者のマナー悪いっすね…
入場した際、シャッター外に一旦出されたんだけど、跳ね飛ばされたまでは経験があるんですが、
「ケッ! 邪魔なんだよ!」
と更に悪態つかれたのは初めてでした…
東1,2では通路に空のペットボトルが散乱してるし正に阿鼻叫喚。
ボカロスペースは比較的ゆったりしてて、小銭を散乱させた人に周りの人が協力したりと、
良い雰囲気が感じられて少し癒されました。
明日も混むだろうけど、今日より良い気分で過ごせると良いなぁ…
東方は、比較的国民に人気のある動画サイト。
ニコニコ動画にて御三家といわれるほど、その存在を「子供から大人まで」を広めました。
そのため、インターネットも普及した今
感化されやすい若い学生の年齢の方の層が、急激に増えたのだと思います。
一昔前の参加者の年齢層より明らかに幅が、かなり広がってます。
実際に、東方projectのソフトを「小学生」が
メロンブックス、メッセサンオー、ホワイトキャンバスに集団で買いに来ている場面を
実際に確認しています。当然成人指定では、ないので普通に店員がレジを打ち購入しておりました。
(当然、見ているこちらは、目がひらきっぱなしです。)
また、来店している客のマナーに関しては、
人が多くなればそういう人もいるにはいると言えますが、
どうも本来参加するはずのなかった人たちが、参加しているように思えてなりません。
2009年8月15、16日に秋葉原を歩いてかたは、
「メッセサンオーの店頭で行っているゲームのデモ画面の前にいた人」を思い出してみてください。
いろんな年齢層の人がいたと思います、それも様々な人が。
しばらく見て足を止め、興味を持ち多くの方が店内へ足を運んでいくところ見ているでしょう。
加えて2、3日目、期待していた他ジャンルの本の品薄の異常さに開いた口が、塞がりませんでした。
新規サークル・いままで同じジャンルを書いてきたサークルでさえ
大半が、東方へ流れてしまい、まったくといっていいほど本を選ぶ余地が、ありませんでした。
良い見方とをすると「東方の本が増え、見る余地が増えた」
悪い見方をすると「東方を書く・弾けば売れる」というのが、お店を渡り歩いてみた感想です。
東方は、ここ数年で急激に大きくなり過ぎた気がしてなりません
他ジャンルへの影響やや人が増え過ぎた原因とも言え、これから先が不安でなりません。
コメント by 名無し — 2009/8/16 日曜日 @ 18:38:57
ゆとり世代はまともに道徳を学んでいないから仕方ないでしょう。
日本において、礼儀をマナーと言い換えるからこうなるのです。
ひどい世の中になったものです。
コメント by 通りすがり — 2009/8/16 日曜日 @ 19:21:49
上記のお二方に概ね同意ですね。同人誌業界が「自費出版の今で謂う創作分野でノンプロの方でも気軽に著作発表が出来るよう」という願いが込められて開催された「コミックマーケット」創始者の初志は、私の年代だと決して、忘れてはならない事柄のように思えます。コミックマーケットは夏冬開催で此度、実に開催76回目で、当初に比べると夥しいまでの開催規模に膨れ上がりました。そして今や同人誌とは、一つの産業を形成する兆円市場にまで至りましたが、「同人誌」という言葉自体は、そもそもは「ノンプロ小説作品の代名詞」であって、決して戯画が含まれなかった点も頭の片隅で留意すべきかも知れません。そして、現在の同人誌業界の八割方が成年指定本である点に配慮しますと、現状は些か、そういった年代の方々に対する配慮も欠けているかなと、一方では憂慮する次第です。
唯、無記名郵便小為替の時代から同人業界フリークの私としましては、とらのあな様やメロンブックス様を筆頭とした同人誌中間卸業界様の経営努力が、この業界の屋台骨を形成していただいた事実もやはり無視できないものです。確かに年々、マナーについて目に余る行為が増加しているのは否めない事実ですが、一つ、ここで問われるのは「それが全体のパーセンテージとして如何ほどか」であるかですね。フランさんが遭われた災難は決して看破できぬものですが、昔から徹夜組などはやはり存在したとおり、現在の同人誌業界の商業規模からすれば、ほんの一厘以下に過ぎない礼を失した方がいらしたとしても、例えば来場者が十万人いらしたとすれば、そのうち千人はそういう類の人間に分類されることになりますから、フランさんのように常連の方になればなるほど、そういう方と遭遇する可能性も高くなる訳です。が、またその逆も然り。言外に尽くせぬような方と巡り会える感動も、やはり御足労の賜物と尊ぶべきでありましょう。勿論、「その無礼な存在自体を肯定するつもりは全くない」ですが、「自身が目に余らぬか」と問われたときに、私自身が断固として是と答えられる自信もありません。ですから、その様な行為は「照魔鏡の如し」として、許せぬ気持ちを己自身の行いに自省として戒めるが吉と、生意気にも個人の感想を記させていただきます。事実、とらのあな等で同人誌と睨めっこしている私は、端から見ると気持ち悪いだろうなぁと、反省することしきりです。フラリと同人誌販売店に脚を向けて、慮外に好きな作家さんの同人誌と巡り会えたときは、冗談ではなく本気で飛び跳ねて歓声を上げましたし(←本当)。私感の私事で恐縮ですが、やはり私は同じ趣味趣向の方から見られても、気持ち悪いだろうなーとw
東方ジャンルは確かに現状でバブル性が多大に潜在すると、私も存じておる所存です。が、バブル消費というものは基本的に踊らされた人間のみが損を見る事が多いので、同人誌の本質を見失わなければ、何ら問題はないものと思われますよ。別段、神主たるZUN氏も忠言や諫言を為すわけでも御座いませんし、前述しましたコミックマーケット創始者、今は亡き米澤嘉博氏も、これだけの規模を誇るようになったコミックマーケットに対して、特にジャンル等を限定するような行為は一切、致しませんでした。お二方に共通するのは「栄枯盛衰も又、然るべき」という泰然とした態度ではないかと常々、感じ入るところです。東方バブルで流れ込んできた作家様も、それを購入する消費者様も、また自然の現象として捉え、バブルが去って再びWindows98以前の、我々が「東方シリーズが世に知れ渡って欲しいな」と願っていたあの時代に戻ったとしても、そもそも神主が「東方を商業ではなく趣味で作製されている」点を鑑みれば、恐らくはファンの動静など何処吹く風という感じなのではないでしょうか(唯一、同人誌販売店に「東方ジャンルという言葉を作らないでください。私の作品はあくまで単なる一サークルの一創作作品に過ぎません」とだけ注文をつけたことが、今でも記憶に色濃く残っています。ですから、今でも各同人誌販売店様のジャンル分けは「東方Project」なのですね)。コミックマーケットも「お痛が過ぎて困るのは誰か」を考えれば一目瞭然で、米澤氏も商業目的でコミックマーケットを結成したわけではない以上、「日が過ぎれば規模に拘泥せず、また古き頃に戻るのみ」と答えられるのではないかと、その様に感じ入っている次第です。
あ、スミマセン。いつもの癖で何か堅苦しいことを書きましたが、要はコミックマーケットは「お祭り」なので、それこそテキ屋といった様なヤクザ堅気な人間もいらっしゃる可能性もあるわけでして。が、そこで排他性を求めてしまうと、そこから選民思想が生まれますから、ちと危険なわけです。上記の通り、コミックマーケットとというお祭りが無くなって困るのは私も含めた我々なのですから、マナーの啓蒙もやはり、存続させたいという意志を持った後世の人間が負うべき義務なのだと思います。
東方バブルもこれと一緒で、「熱が過ぎればいなくなるだろう」ぐらいに考えておけば宜しいかと存じます。「来るもの拒まず、去るもの追わず」が同人誌業界の本質、自費出版という業界が得た掛け替えのない権利なのですから、寧ろこの現象を逆手にとって「これを機に好きな有名作家さんが流れ込んできてくれないかしら?」と己の好ましからぬ事象すら利に転換するくらいの強かさも必要なのかも知れません。
東方の購入層については実際に、下手にコンシューマーを購入するよりも、同人作品のゲームを購入した方が昨今では面白い始末ですからね……。反対に古き良きギャラガの様な2Dシューティングという分野は既に、「プロが作製する時代では無くなってしまいました」から、例えばタイトー様のダライアスや、アイレム様のR-TYPEに興奮した経験のある方ならお解り頂けるかも知れませんが、「過ぎたるは尚、及ばざるがごとし」と感じてしまうわけです。シューティング・ゲームの敷居が余りにも高くなりすぎているような感じがするのですよね。一方で同人サークルである「橙汁」様の「スグリ」の様に、これまでの2D表現と今の入力デバイスの双方を活かした余りにも斬新な「これぞ現代型シューティング・ゲーム!」と太鼓判を押したくなるような作品も登場してくれました。またその一方で、ハードとソフトを購入してもノンプロ作品よりつまらないものが世に多いというのは如何なものかと、個人的にも悩むところです。「同人作品の発表ゲームに占める良作の割合と、コンシューマー分野の発表ゲームに占める割合が乖離しすぎている」点は、最も憂慮すべきでしょう。これは楽曲も又然り。私は昔から所謂「プロ」の良さが全く分からず、その時代から「ノンプロの方が良い曲を作る」と捻くれておりました故。世俗の風潮として一部、同人業界そのものを忌諱する動きがあるのも存じておりますが、やはり「青年向け作品が出品の八割に上る」以上、そういった目を向けられるのも一部では致し方なきことかと思う次第ですが、その一方で「その勢いにかまかけて、残り二割まで否定する」人間も私は信用いたしません。事実、我が国の「ノンプロの質の高さ」は間違いなく、この同人業界が育てた側面を否めませんし、手前味噌で恐縮ですが我々、消費者の動向がそういった潮流を支えたのも事実だと、今では「コミックマーケットという文化を知っていること自体」を誇りに思っています。
ハイ、えっと、またしちめんどくさい事をぐだぐだと書いてしまって申し訳ないのですが、ですから、私の提案としましては「笑う門には福来たる」で行きませんか? という一点です。パソコンのコンシューマーも、私のようなPC-88xx時代は「九割九分九厘が成人指定」でしたし、まぁ、そういった方面からパソコン技術に足を踏み入れる人間もいらっしゃるでしょうから……(ゴニョゴニョ)。まさしく「吉凶は糾える縄の如し」でして、動機は何であれ、その時点の思想が危険を孕んでいないのであれば、そういった方もまた、受け入れるべき懐の深さが「自費出版の個人作品展示会」には求められる気がします。現に、パソコンが一般化した現代では、一昔前のあっぴろげた「閑古鳥が鳴くパーソナル・コンピューター、ブースの一角が無造作に全て成年作品で占められている」という現象も是正され、青年向けのパソコンゲーム・コーナーは隔離されておりますよね? そういった感じで、一方ではYsシリーズやエメラルド・ドラゴン、英雄伝説といった名作がパソコンのコンシューマー市場から生まれているわけですから、やはり同人業界も以前と客層が異なってきたなら、彼らを一概に排除するべきではなく、こちらが応じて変わる面も捨ててはならないと思います。事実、一部のコンシューマーを遥かに凌ぐ同人作品も少なからず存在するのですから「一般指定なのに成年しか購入できない」という現状の矛盾がまず、正されるべきではないかと、今後の同人業界のためにも個人的にはそう思います。「面白そうだからやりたい」というのはこの業界に求められている最も純粋な想いですし、やはりその作品を知っている私としましても、「面白いからやってみなよ」と、尻込みなさっている方には声をかけてあげたい老婆心も御座います。
「国破れて山河あり」と申しますように、日本の同人誌即売会の原点であるコミックマーケットの出発点は、あの小さな百ブースもないビルの一室です。世の流れに逆らえぬというのであれば、素直にあの原点まで返りませんか。熱が冷めればオンリーイベントも自然と無くなるでしょうし、参加者自体がいなくなれば逆に、度を過ぎた延命治療を運営側が施すことも出来ません。何より、東方Projectに関しては神主自体がそれを望まないでしょうから(それでも神主の性格からして傍観するとは思いますがw)。神主の原点も元はあの小さな「上海アリス幻樂団」です。東方紅魔郷までの歴史を知る私としましては、神主が御自身の作品に対する二次創作分野の規模に拘るとは到底、思えないのです。「最も大切にしなければならないのは何か」。参加者一同、消費者の一人一人がそれを見失わなければ、そう簡単に絶やされる灯ではないと、個人的には信じております。Take it Easy! 「もやしもん8巻」のエントリーでも記しましたが、サントリー流に「やってみなはれ」で行きましょう。上記お二方のような現状を憂慮する方が各々、自身に自戒を以てして心懸けた上で、知人方々に少しでもそういうお気持ちを伝えられれば、決してその力は小さくありません。各自が無理をせず、自分の範囲で出来ることに徹すれば、そう悲観したものでもありませんよ。
あと、論旨はずれますが、私が最も許せないのは「ゲームミュージックなぞ所詮はゲームミュージックに過ぎない」というような、体験する以前からその存在を否定する様な類の輩です。こういう人間こそ、まさしく論ずるに及ばず、ゲームで用いられていようがアニメに用いられていようが何であろうが、曲は曲で絵は絵、歌は歌でプログラムはプログラムです。何に用いられていようが媒体如何でその技術性を全否定するような無知蒙昧の奴腹こそ、個人的には何よりも度し難いのです。同じくして漫画もアニメも「表現手法の一つ」にしか過ぎません。ですから「小説の存在は肯定しても、漫画の存在は否定する」という訳の分からない事を曰う人間が大嫌いです。王欣太氏作画、李學仁氏原案の「蒼天航路」から陳寿の「正史三国志」を読む人間も多いでしょうし(横山光輝作「三国志演義」を「正史三国志」と思わせている何処かの何方様の方が問題あるでしょうに、学校の図書室に多く置かれているのは果たしてどちらでしょうね? 前者と後者でどちらが「正史に近いか」とすれば、当たり前ですが問答無用で「蒼天航路」に軍配が上がります。「三国志演義をそのまま絵にした正確性」なら横山光輝版「三国志」なのですが、そこを言い出すとそもそも、アレを「三国志と称すな。三国志演義としろ」という事になる訳ですが、我が国で「正史三国志」の読みやすい和訳本が出版されたのが、実はごく20年ほど前ですから、一概には責められない所もあります。それに江戸期から一貫して、「三国志は三国志演義のことであった」のも事実ですし……。が、陳瞬臣氏の「三国志」や「曹操」など、最近では読みやすい本も出版されておりますので、ご興味御座いましたら是非ご覧あれ。あ、申し上げるまでも御座いませんが「レッドクリフ」は百パーセント創作ですから)、NARUTOから伊賀者、甲賀者、風魔一族、真言宗顕教根来寺根来衆、雑賀武装商業集団といった忍者や傭兵集団に目を向ける方もいらっしゃるでしょう。ぬらりひょんの孫から御伽草子や山海経といった古典や鍋島騒動といった歴史的事象、果ては遠野物語といった民俗学書物に興味を持たれる方もいらっしゃるでしょう。特にぬらりひょんの孫は、少年誌で連載しつつも読者に分かりやすいよう内容を咀嚼し、実に良く資料を調べていらっしゃいます。小豆洗いって結構、怖い妖なんですけど、これも作者である椎橋寛氏の仰るとおり、まぁ確かに我が国の神は疱瘡神に代表されるとおり、福神と疫神が表裏一体ですしねw 作中で氏が仰っていた「妖怪と神社の構造」を専門用語で「マッチポンプ」といいますが、こういった意味では漫画もアニメも小説も三位一体、きちんと文化の橋渡しが出来ていますし、一方で偏重すると害があるのは漫画だろうがアニメだろうが小説だろうが、どのメディアでも当然のことです(「書痴」なんて言葉は小説人間を指すのですよ?)。んなこという阿呆は、ならば軍事転用で民生に降りた技術を一切使うなと、身包み剥がしてタクラマカンにでも放り出してやりたいです。我が国の消費電力の大半を担う原子力発電所ですら軍事転用技術です。ですから、そういうお馬鹿は「電気すら使うな」と文明社会から隔離してあげたい所存。航空機技術も軍事転用、レーダー技術も通信技術もコンピューター技術も軍事転用、大凡、現代文明の中枢を占める技術の大半が軍事転用! F-22の電磁波吸収塗料も実は日本の開発品!(電波障害が鬱陶しいからと確か、陸橋の塗料として開発されたものが、米国で軍事分野に転用されたのですよ。世にも珍しい、民生品からの軍用転化です) 音楽も未だにショパンやシューベルト、ベートーヴェンといった古典から抜け出せないではない現状。今焼が見直されたように、古きに拘泥するは滅ぶ者のみ。すぎやまこういち氏の楽曲がロンドン・フィルでも演奏された事実を一体、どう受け取るんでしょうかね、彼らは? NHKは良くて民放は駄目だと曰っている人間も、例えば良い曲だと視聴していた「NHKスペシャル・世紀を越えて」の楽曲について「作曲者はVガンダム等のアニメ曲も手がけてますよ?」と知らせてみると、「いや、それは例外」ところりと掌を返す。
訳分かりません! っもー! て感じです。本当に。っもー! こんな人間達を信用しろという方がおかしい(断言)。
コメント by Mya — 2009/8/18 火曜日 @ 15:49:58