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:: 2009/10/19 月曜日::

■[漫画]奴は、マスケットで俺たちを狩りに来た!「BLACK LAGOON」9巻

ブラック・ラグーン 9 (サンデーGXコミックス)
著者/訳者:広江 礼威
出版社:小学館( 2009-10-19 )
定価:¥ 620
Amazon価格:¥ 620
コミック ( 256 ページ )
ISBN-10 : 4091571891
ISBN-13 : 9784091571892
作者サイト:VIOLENT DOGS DIVISION

当主の仇であるNSA指揮下の特殊部隊を追う殺戮機械と化したロベルタ編も遂に完結。
雑誌掲載時から大幅に加筆された結末が収録されているので、
サンデーGXを読んでいる人も読むべき、というかむしろ読んでいる人こそ読んで欲しい。
そんな完結編です。

今回の主役はロアナプラという街そのもの、と言って良いような気がします。
ホテル・モスクワ、三合会、ラグーン商会といった魑魅魍魎を内包する、
悪徳の街、ロアナプラという手のひらの上でロベルタやキャクストン少佐が踊らされ、
命を天秤に乗せたゲームに参加させられているように思えます。

しかし、そんな賭のコマとも言うべき人たちだからこそなのか魅力的で、
特にまだまだ坊ちゃん然とした甘さが見えたガルシアくんの成長が著しく、
ロックが提案した無謀な賭けに自らの命を預け、ロベルタを取り戻した姿は崇高でした。
茨の道という名のハッピーエンドで、これからの人生は平穏とは真逆でしょうが、
それでも彼なら折れず、高潔に生きてくれそうな気がします。

しかしロックは本当にロアナプラに染まった感がしますね。
本人にその自覚がないのが致命的ですが、どうしようもない程に。
まだ自覚があるなら救いがあるんですけど、善意だと信じてるのが末恐ろしいですね。
彼の行き着く先が心配になってきます。

次回からは新章だけど、どうなるんでしょうか。
変わってしまったロックにフォーカスが移るのかな。

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 Comments (2)

2 Comments »

  1.  アマゾン注文なので加筆版のコミックスはまだ観ていないのですが、ロベルタ・アヴェンジャー編も終了した様子ですね。伊藤明弘先生が突如として病気療養に入ってしまったので、ブラック・ラグーンがハードボイルドなガン・アクション漫画として唯一の生き残りですよ。アニメの三期も決定しましたが、どうか踏ん張ってください、広江陸軍少将殿……(陸将補でしたっけ?)。

     ロックについては、私は認識が少し違いますね。ロックは日本編の最後で既に「グッバイ・ジャパン」を済ませたあとなので、彼が祖国日本からロアナプラに帰ったときは、既に日本人ではなくロアナプラ人として、毒を被り皿まで喰う覚悟が出来ていたのではないかと思っています。それでもロックが根本で変わっていないという確信を、私は三合会の張さんが手を引いた時点に見いだします。頭が切れて損得勘定にも長けるロックですから、彼も此処が引き際なのは理解していたものと考えます。
     それでもロックは引きませんでした。と申しますか、恐らくはロックの心積もりとして米陸軍所属の特殊作戦群とロベルタがやり合っている状況でガルシア君を投入したのが既に最後の手段であったものと理解しています。一縷の望みですね。ですが物語では、絶対に失敗できない唯一の状況下でガルシア君が現状のロベルタを見るに耐えられず、ロベルタも最悪な方向に錯乱し、そこを父の仇である米軍に救われるというとんでもない方向に事態が流れてしまいました。本来ならレヴィ達を全員含めて、戦場に投入した全員を切り捨ててでも事態の収拾に努めるべきなのですが、ロックはあくまで彼女達の帰りを待ちました。エダの根回しも影響したのでしょうが、レヴィも簡易無線すら持たずに鉄火場に突入するとは、実に無茶をしますねぇ。これについては「飛び込んだら撤退はない」というロックの心積もりを察した上での行動だと思っております。レヴィからのロックへの視線については後述。まずはこの事件の経緯を追いますね。
     棚ぼた式でキャクストン少佐の脱出を請け負ったのはロックにも埒外だったのでしょう。実際、既にロックがキャスティングした舞台(作戦)は散々な失敗として終了し、後は事態を収拾するのみで、あの時点で最も懸念されるべきはラグーン商会のロアナプラでの立ち位置です。三合会がホテル・モスクワを自分の意図に巻き込み、あまつさえコロンビア・マフィアの私兵として動いていたキューバ正規軍をレヴィ達までが叩いてしまったのですから(兵消耗率十割というのは異常すぎます)。その段階で結果的であったにしろ、ガルシア君と米陸軍特殊作戦群に肩入れして、三合会が手を引くほどに大火傷をしてすら得るものは何も無し。今回のケツ持ちが三合会であった以上、ラグーン商会は張さんが個人的思惑で動かしたホテル・モスクワと、大損をさせてしまった三合会、そしてコロンビア・マフィアの三組織をまるっと敵に回してしまったわけです(三合会はどう動くか分かりませんけどね。ホテル・モスクワは三合会に貸しを作った形になります。コロンビア・マフィア側は……、ほぼ壊滅? ヘンゼル・グレーテル編で四つの大組織の内、イタリア系の一つが壊滅的な打撃を受け、今度はコロンビア・マフィア。現状のロアナプラは三合会とホテル・モスクワの勢力が極めて大です)。既に米陸軍と多数勢力が「交戦を開始する前から」ダッチは何度も手を引けとロックに命令しています。ですがロックは独断でガルシア君に肩入れする道を選びました。それは「ロックの望む最後ではなかった」というだけの実に個人的な理由だけです。「この作戦で自分が得るものは自己満足」とはそこですね。何よりも自己満足を優先した結果がこれです。
     ですからベニーが、

    「君とは良い同僚でいたいと思っている」

     というような発言をしたのはそういう訳です。ロック個人の事情で、ロック個人の独断によって雇い主のラグーン商会に大損をさせてしまったわけですから、ベニーの発言からラグーン商会のボスであるダッチは既にこのヤマの責任者であるロックの首を差し出す算段を練っていたことが窺えます。唯、既に事態はラグーン商会からもたった一人の首で落とし前が付くような小火で片付くものではありませんでした。誰も彼もが大火傷、ロアナプラは火種が燻る大火事の前兆です。ケツ持ちの三合会もこの状況で、ロックの首一つをテーブルに上げたところでとても手打ちにはほど遠いでしょう。あの状況は、利害関係が余りに複雑化しすぎて、誰がどう立ち回るかのワン・アクションを起こしただけで連鎖式に事態が雪崩れます。それに対して防御態勢を起こしても待避行動を起こしても、それが呼び水となって次々と雪崩れてしまいます。何処に手の打ち所があるのか、私にはさっぱり分かりません。
     以上の状況下で、ロックが作戦活動中である米陸軍特殊作戦群の逃走路確保を教会経由で請け負うことが出来たのは、極めて幸運でした。そこにはエダ、もっといってしまえば彼女の背後であるCIAが噛んでいるにしろ、それを差し引いても、天の贈り物といっても差し支えないでしょう(実際はエダがラグーン商会の情報を二重スパイとして流し、ロベルタにお膳立てをして作戦妨害に動いたわけですが)。それがロックの首を皮一枚で繋ぐことになりました。そこからのロックのネゴシエーションはコミックスの通りですが、あの酷い芝居はまず、部隊長であるキャクストン少佐が首を縦に振らない限りは起こりようがないものなのです。が、ロックの手の内には彼を確実にイエスと返答させるだけのカードが無いため、後は性格や経歴など個人情報や社会的身分などの個人情報が一切が知れぬキャクストン少佐の人物に賭けたわけですね。「結果としては」部隊指揮官であるキャクストン少佐とその副官であるマクドゥガル大尉が、イリーガルな活動を生業とする隠密部隊の将校としてはあり得ないほどに職業倫理と人間性の両方を持ち合わせた、極めて希な「人格者」であったことで合意を取り付けましたが、あの様な場で弁舌を振るう人間として最も願ってならないのは「相手の善意を期待すること」です。世の中が全て自分の思い通りに運ぶと思いこむことほど傲慢なことはありません。交渉の余地があったとしても、言葉一つで敵に回る可能性がある相手に楽観思想を持って交渉に臨んでは絶対にいけないのです。
     ですから本来、ロックの様な立場にある人間は希望的観測で動いてはいけないのですが、結果論的にはロックの首は繋がりました。ですがそれは結果論でしかありませんから、あの業火に手を突っ込んで焼ける栗を二度と拾えるかと問われれば否、作戦参謀としては落第点です。これは重要なので繰り返しますが、結果論で語ってはいけないのですよ。手元にまだ9巻が無いので、明確な分析は8巻までしか行えませんが、ロックの行動は8巻の時点であり得ないです。蜘蛛の糸を渡るような成功率ですね。そして結果的にガルシア君の望みを叶えることに成功したロックですが、ロアナプラどころかラグーン商会に今後、彼の居場所があるのかがかなり心配です。が、バラライカさんにも張さんにも不思議とロックは受けが良いので(何故かはよく分かりませんが、あそこまで大きい組織ですと、恐らくはロックにも適材適所があるのでしょうね。一般的な経営論からすれば、曰く『ちょっと成功した中小企業に、初めて高学歴の垢抜けた社員が入ってきたりすると、社長さんはとてもうれしい。まして、その中に優秀な若者がいると重宝する』@八幡和郎著「江戸300藩県別うんちく話」とのことなので、日本の国立大卒で元商社マンというロックは、実はどの組織も喉から手が出る程、欲しい人材なのかも知れません)、再就職先には困らないかな……、というのが最悪の予想です。
     というわけでまぁ、この物語は「ロックという人間の根幹が歪んでいた場合は絶対に起こり得ない」ものです。万が一、私があの事件の交渉を担当していたとすれば、張さんが撤退を指示した時点で素直に従います。ロアナプラにとっては張さんが語っていたとおり、「ロアナプラ後を出国した後で、盛大に殺し合ってくれればよい」わけですから。そんな状態になってもあくまで、船内ですらガルシア君をキャクストン少佐に引き合わせたのは、ロックの酔狂以外、何者でもありません(本気でそうです)。
     思うに、きちんとロックは雪緒をきちんと「自分が殺した」と認識しているのではないでしょうか? レヴィが「傷になる、見るな!」といったのは、それによってロックが壊れてしまう可能性を危惧したのではないでしょうか? ロベルタはロックの手助けなしでも復讐を遂げられた可能性はあります。が、ロックの尽力がなければ、ベネズエラの屋敷にロベルタが帰還することはなかったでしょう。少なくともラグーン商会の総意として、このヤマに此処まで入れ込むのは埒外も良いところですから、同時に、ロベルタの説得にロックを名指しで指定し、協力を請うたガルシア君の判断も素晴らしいです。巡り合わせでしょうね、これはもう。

    「悪意を最も禦ぎうる存在は、最も悪意に長けた存在である」

     というのは個人の座右ですが、「力があること」そのことについては別段、特に色というものは付いていないのですよ。力に方向付けするのは、振るうものの意志。そしてその力に対する衆目の反応は、もたらされる結果によります。「力なき声は唯の無力」でしかないのと同時に、「心なき力は暴力でしかない」のも同等です。これは紛れもない私感ですが、私のこの見方からすると、ロックは決してガルシア君達にどんな手段を用いてでもロベルタの奪還を果たしました。つまりこれは張さん曰くロックが「偽善者」のままで終わらなかった事になります。確かにロックはロアナプラの流儀を覚えはしましたが、個人的感想では自分までは曲げておりません。手法論こそ異なるというだけで、やっていることは実はキャクストン少佐とそう変わりはないです。重要なのはそこに力を振るっているという自覚があるか、破壊行動に対して己を正当化してはいないかという二点でしょうか? そういう意味では大局の前に蹴散らされる小石とになったガルシア君に引き合わされたことで、キャクストン少佐は相当に自分の中の正義が傷ついたことでしょう。自分のやっていることも、実はあの熱病にうなされたような南ベトナムで自分が立ち向かった「悪」と変わりなかったのだと眼前に他ならぬ証拠を突きつけられたのですから。副官のマクドゥガル大尉が慰めたのはそういうことです(私に発言させれば、どこをどうすれば殺人行為が正当化されるのかさっぱり分かりませんが、絶対的な正義を持つ人間ほど殺人行為というものに対してすら背徳心を抱かないというのも事実です。前者の人間である私から言わせれば後者は「欺瞞だ」ということになり、後者の人間からすれば私は「臆病者の偽善者」ということになります。前者は決断に至るまで決定的な時間を要しますが、決めたら最後までやり通す傾向があります。逆に後者は決断から行動に移るまでのレスポンスが極めて短いですが、旗色が悪くなると即座に掌を覆す傾向があります。どっちもどっちなのは事実ですね。どちらかに偏りすぎるのは良くはないです)。

     そんなわけで、私からのロックに対する弁護でした。……しかし、弁護はしましたがだからどうだというお話でもあります。というのも、燃え広がった火は辛うじて鎮火できましたが、被害は相変わらずなので、ぶっちゃけたお話、その後のラグーン商会事務所が突然、何者かによって爆破されてもおかしくないような恨みの買い方をしましたから、いっそヘンデル・グレーテル編で運び屋を営んでいたお爺さんのように、店を畳んで安全な土地に移住した方が良いような気はしています。改めて8巻を見返す限りは、張さんの邪魔はしておりませんから(これ以上、ロアナプラに被害を与えることなく、迅速に米陸軍特殊作戦群に退路を提供した辺り、寧ろ張さんの意向に沿う形です)三合会が筋を通してくれることを祈るばかりですが、こればかりは私には……。遥か上の方で働く力学というものは、降りてきて初めて気付くものばかりですが、降りてきた時点で大概は手遅れであることが殆どです。
     この世の理不尽というものには何よりも若様御自身が嫌というほどに味わったでしょうから、どんな結末を味わってもガルシア君にその覚悟は備わっていることでしょう。この事件についてはどういう収拾の仕方をしたかがとても気になるので(連載がよく分からないフェードアウトだったものですから……)、早く9巻を私も読みたいですが、ロックとガルシア君は似てるなぁというのが個人的感想です。ロックが個人的趣味(「善意」とはいいません。ロック自身が日本編で発言しているとおり、彼の行動理念は文字通り無法地帯であるロアナプラの地に於いては、あくまで「個人的思想」、そして皮肉を混ぜれば「趣味」ということになります)でロベルタとガルシア君、そしてファビオラは晴れて念願の再会を果たしました(多分。9巻を見てないので確証がないのです)。ラグーン商会への致命的な被害は敵を作った可能性があることですが、思いもかけずステイツに貸しを作り手間賃を貰って、更に三合会が動いてくれることを前提とするなら収支はとんとんというところでしょうか。名声を上げたか評判を下げたかは、ロアナプラという土地柄によりますね。そして米陸軍特殊作戦群を指揮するキャクストン少佐麾下はどうなったのやら……。彼らの作戦完遂は三合会が絶対阻止とするラインですから、そこにラグーン商会が茶々を入れると彼らの命がありません。仮にロベルタがガルシア君達と合流して米兵狩りから退いたとしても、「そこは三合会が望む最後ではない」ので、その時点を以てキャクストン少佐達の扱いはラグーン商会から切り離されます。寧ろラグーン商会の立場からしてもNSAの作戦は阻止すべき対象なので(三合会に被害が出ないよう動くというのがラグーン商会の立ち位置の筈ですが、ロアナプラから離脱させる形とはいえ、一方で作戦遂行のために船を出しておりますので、これを張さんがどう受け取るかですね)、ガルシア君の行動がその後、どの様に米陸軍特殊作戦群の作戦行動に影響したかが肝です。果たして指揮官の負傷で作戦が停止するのか否か。指揮官が指揮不能に陥った場合、作戦を引き継ぐのが副官たるマクドゥガル大尉の役割なのですが……。えーっと、この辺りの落とし所を考えると、頭がパンクします……。
     ……余談ですが、マクドゥガル大尉って、同じく副官でジオ・ブリーダーズに登場したハウンドの依田さんに似てますよね……。

     えー、で、改めて今回のロベルタ・アヴェンジャー編を見返してみたのですが、ロベルタ・アヴェンジャー編が開幕したのが実に第6巻末からかよ! というツッコミがまず入りました。月刊誌で一つの物語がクローズドするためにコミックスで三冊かかるというのは、相当な超大作ですね。しかもファビオラが登場した当初は実にシニカルなコミック調だったのですが、中盤以降は天地入れ替えで一転してヘヴィな空気が一貫しました。

     次章の予測ですが、次にフォーカスが当たるのはダッチではないかなーと朧気に予想しております。というのも、キャクストン少佐がダッチのベトナム戦役時代の話を聴いて、「彼は当該作戦に参加していない」というような発言をしていたのが気にかかったからです。何処かに献金もしている様子ですし、彼の背景もなかなかに複雑そうです。

     で! レヴィのロックに対する視線ですが、6巻でエダが二人の男女関係(というか寧ろ、単なるコミュニケーションの手段の様な聴き方でしたね、アレは)についてレヴィをつついておりましたが、レヴィの方は別段、奥手でも何でもなく、意外と彼女自身がロックと付き合う内にこれまで目にすることが出来なかった色々なものが見えてしまい、ロックに近づけずにいるのではないかなーと思っております。彼女自身が語っていたとおり、「あたしが育った街じゃ、善意も道徳もSOLD-OUTでね(うろ覚え)」てな感じで「いつか殺されるまで殺し続ける」という人生を選び、そこにこれまで微塵の後悔も持たなかった彼女です。が、会社に裏切られロアナプラという吹き溜まりに身をやつし、汚れ仕事を数多くこなし、悪事に対しても頭が切れるロックですが、それでも芯がぶれない。レヴィからすれば恐らくは、初めてであう「善意」と「道徳」、それに「規範」を持ち合わせた唯一の男性であるなのではないのでしょうか? ストレートに申しますと、自分が目にしたことのない偶像がある日、突然、眼前に降って湧いたような感じなのでしょう。要は、ロックはレヴィにとって相当に崇高な存在として映っているのではないでしょうか?
     憧憬の対象ではあるが自分と比した場合、自分が余りにも惨めになる。と同時に自分の穢れをロックに移して良いのかどうか、本能的に躊躇しているのではないでしょうか? そして、同時にロックの信念が自分に移った場合、「いつか殺されるまで殺し続ける」という以外の生き方を見つけてしまう自分に怖れているのではないかと感じます。生きることに執着しなかった人間がある日、突如として命を惜しむようになれば、自分のそれまでの行いを振り替えざるを得ませんから、これは怖いですよ。
     ですから、7巻のP.113でなされた遣り取りは、レヴィにとってかなり度胸を決めて踏み込んだ質問だった様に思います。時として見境無く火事場に突っ込むロックに対してこれ以上、自分はどの様に付き合えばよいのか? 少なくともそれは仕事としてのパートナーの領分から逸脱している以上、成り行きでこれ以降、付き合うのは御免だ。ならばあたしが納得できる答えをよこせ、とレヴィは言っていたのではないのでしょうか? 実に彼女らしい言い方ですね。あたしがあんたに付いていくための理由を、あんた自身の口から形にしてくれ、というのはレヴィらしくはないですが、レヴィを女性と認識すれば実に分かりやすいです。ですがロック……(涙)。融通の利かない男だな! ちょっとはそれなりに臭わせるような言い回しをすればよいものを、本気で真摯に返答してしまうものですから……。
     ロックとレヴィの関係も、密かにニヨニヨして見守りましょう。

    コメント by Mya — 2009/10/22 木曜日 @ 4:02:03

  2.  ……なーるほど……。
     9巻を読みました。そういう幕引きをしましたか……。……うーん……。
     ……文字通りの無法地帯であるロアナプラでこの言が通用するかどうかは分かりませんが、少なくともロックはボスであるダッチの言に逆らって、ロベルタとキャクストン少佐の非正規部隊が交戦状態に陥った後もネゴシエーションを投げ出しませんでした。単に仕事だからという理由なら損得勘定に長けるロックです。ダッチ同様、端からこの仕事を請け負っておりません。ラグーン商会が扱うヤマとしては、この件は余りにも大きくシビアすぎるからです。だからこそ、大勢力同士の大混戦となる前にロベルタを説得した上で回収し、ガルシア君ら三名を帰国の途に着かせることが、唯一の穏便な解決手段だったのですが、結果は御存知の通りです。廻ってきたチャンスをガルシア君が現実に打ちのめされて、。ロベルタは既にアンクル・サムに牙を剥き、そのロベルタをコロンビア・マフィアとキューバの正規軍が追う。三合会は自分の莫大な収入源であるヘロインの生産拠点を潰すというキャクストン少佐が率いる部隊の作戦を何としても阻止したい。
     ……どうにもならないですよ、これは。此処まで利害関係が複雑になれば、力関係すら蟻とミジンコのラグーン商会のような立場に置かれている大概の人間は投げ出します。それは「賢明な撤退」です。勝率がほぼ零である博打を打つ馬鹿はいませんからね。
     ファビオラがダッチ達の判断を「臆病者の嘘吐き」と罵りましたが、喜んで死刑台に上がる馬鹿はおりませんから、その点でファビオラは政治的判断、戦況把握に極めて疎い女性であることが分かります。寧ろ、此処はこのヤマを請け負ってしまうロックが底抜けの阿呆なんですね(お人好しが半分、生来の仕事人であることが半分、というところでしょうか?)。
     で、元々のガルシア君が依頼した件に対する失敗の要因は、ガルシア君がロアナプラでの大規模な交戦中に、幸運にもロベルタと邂逅しつつ、ロックの発言通り「君だけはしくじるわけにはいかない」といわれた場面で決定的にしくじってしまったところにあります。ですからロックは己の信念に従って、ダッチが止めるのも聞かず更に深入りしたわけですね。
     9巻では全てが不気味なくらい運良く、本当に全てが良い方向に片付いたラグーン号の船上でロックは破顔して彼らを迎えましたが、これが中々に難しい。その態度にファビオラの堪忍袋が遂に切れます。あの賭で「ファビオラとガルシア君、そして米軍の命を全員、チップとした」と怒りますが、そんな状況ですらロベルタの身を案じて一計を授けてくれたのは他ならぬロックです。ロックがいなければどうにもならなかったロベルタの奪還依頼ですが、少なくともあの状況下で連れ戻すことに成功するだけのお膳立てをしたロックには感謝こそすれど、ファビオラのように銃口を向けられる謂われは全く無いと思うのですよ。自分の個人的趣味でガルシア君達も喜ぶと勘違いしていたロックにも責任はあるでしょうが、幾ら何でもきちんと依頼通り五体満足でのロベルタの回収に成功した以上、感謝こそされども非難される謂われは全くないのですがねぇ……。ロックも多くの物的見返りを求めていたわけではないですが、得られた自己満足の対価が銃口と怨嗟の声というのは少々、同情を覚えます。少なくとも全面的にロックの手腕でロベルタの奪還が成功した以上、道理からすれば礼こそされれど撃たれる謂われは全くないでしょうね。そういう意味では「自分の依頼内容を完全に棚上げにして、さも自分の言い分こそ正しいような言い方をするファビオラの方が子供で、張さんがいうところの偽善者」なのでしょう。そもそもが、ロックがこのヤマに付き合ったこと自体、彼の個人的な趣味であったのですからね。「ならばロベルタは見捨てられた方が良かったか?」。ファビオラの発言を突き詰めると、結局は二元論に行き着いてしまうのです。ロックが提案した極めてギャンブル性の高い提案を受け入れるか、それともロベルタを諦めるか。此処で徹頭徹尾、ロベルタのことを諦めなかったロックは寧ろ賞賛されるべきなのですが、ファビオラにはそれが理解できなかったようです。彼女曰く「自分たちの命をベットされて行われた賭けに勝っただけで、善人面されるのは我慢ならない」という所なのでしょう。
     これについては、実はファビオラにも少しだけ理があります。というよりは、ロックのちょっとした勘違いとでもいいましょうか。人死にが出ても計算内、最終目的であるロベルタの回収さえ出来れば、ガルシア君から任された依頼と自己満足の双方を満足させることが出来る。そこまでは良いのですが、問題は「自己満足の範疇にある感情を善意とはき違えてさらけ出したこと」です。どこまで行ってもそれは自己満足の範疇を出ないものなので、恐らくロックのあの発言は、裏表無く真剣にガルシア君達を心配してのことだったのでしょうが、潔癖的な発言が目立ち思考も割と直情的な所があるファビオラにはどうしても理解しがたかったようです。
     ええ、自己満足を他人と共有しようとしたロックにも責任の一旦はあります。……が、ファビオラが完全に失念しているのは、私が上のコメントにも記したとおり、

    ――――
     彼らの作戦完遂は三合会が絶対阻止とするラインですから、そこにラグーン商会が茶々を入れると彼らの命がありません。仮にロベルタがガルシア君達と合流して米兵狩りから退いたとしても、「そこは三合会が望む最後ではない」ので、その時点を以てキャクストン少佐達の扱いはラグーン商会から切り離されます。寧ろラグーン商会の立場からしてもNSAの作戦は阻止すべき対象なので(三合会に被害が出ないよう動くというのがラグーン商会の立ち位置の筈ですが、ロアナプラから離脱させる形とはいえ、一方で作戦遂行のために船を出しておりますので、これを張さんがどう受け取るかですね)、ガルシア君の行動がその後、どの様に米陸軍特殊作戦群の作戦行動に影響したかが肝です。
    ――――

     ロックにとって請け負った仕事はあくまで「ガルシア君の元にロベルタを返すこと」ですから、実際にはキャクストン少佐の部隊がどうなろうとロベルタを回収できた時点でミッション・コンプリートです。「結果として」目隠しをして針の穴に糸を通すくらいの成功率でしかないギャンブルを成功に導き、奇跡的な逆転大勝利を手中に収めたロックですが、それはあくまで結果論です。NSAの作戦が失敗に終わったのは「単なる運」以外の何者でもありませんから。此処で最も忘れてはならないのが、「ガルシア君とファビオラが失敗した場合は自分の命を失うだけですが、ロックが失敗に終わった場合はロックの首だけで済む話ではない」という点です。確かにこれは命をコインに換えた究極のギャンブルですが、「この博打の親がロックであったわけではない」のは決して忘れてはならないでしょう。ロックは「失敗の折には自分の命どころか、ラグーン商会、更に三合会という途轍もない担保を独断で入れた」のです。そこが解っていないファビオラには「単なる命を代価にした、いかれたギャンブル」にしか見えなかったのでしょうね。ロックにとっては「ロベルタを少なくとも外見上は五体満足でガルシア君の元に返すこと」、これが至上ですから「それでも君達は勝った。それが全てじゃないのか?」という発言は至極ごもっとも。どうやらガルシア君はそれを理解している様子ですが、……どうなんでしょうね? 恐らくあの発言、一概にロックを責めるだけのものではなく「自分も同罪である」という意味を含んでいるような気もします。何しろ「ガルシア君がロベルタの帰還を最優先しなければ、少なくともガルシア君がこの惨劇を目にすることはなかった」訳ですから。そういう意味では、ガルシア君のエゴがまたこの茶番の大きな動機となった事実を度外視することは決して出来ません。ロックとガルシア君の違いは、「自分のエゴで犠牲になった人間をどう思うか?」の一点に尽きます。ガルシア君は「ロベルタに人殺しをさせるのは忍びない」という自分のエゴを貫きました。そしてロックは「ガルシア君の願いを叶えるために手段を選びません」でした。そこにどれだけの人死にが出ようとも、です。どちらが正しいか、なんてそんなことを問うこと自体、間違っています。何をどうしたら人殺しという行為が正当化されるのか、何をどうしたらそれまでに犯した罪が許されるのか。そんなことは分かったものではないですから、「ガルシア君のいっていることが正しい」なんて、私には露にも思えません。そしてロックの今回の「自己満足と趣味」は確実に他人の為に尽くしましたが、手法論が気に入らないということでファビオラが拒絶反応を示しました。ロックを巻き込んでまで(ダッチの意向としては仕事を受けること自体に反対だったのですが、穿った言い方をすれば「ロックが確実にこの依頼を断ることが出来ない」という、意識的か無意識的かは分かりませんが、そこに計算高い狡猾さがあったことは間違いないです。無いとは絶対にいわせません)ロベルタを取り返すという目的を果たしつつも、その目的のために支払った余りの代償の大きさに割り切ることが出来ないガルシア君は、恐らくは「自分とロックが違う生き物だ」という主旨の発言をしたかったと推測できるのですが、言い回しは最悪でしたね。感情が許さなかったのでしょうか?(広江陸将補の演出だとは思うのですが、ちょっと可哀想でしたね) キャクストン少佐については、「部下が死んで作戦も失敗して、あまつさえベトナム時代からの付き合いである自らの右腕を自分の手で撃ち殺した。そこまでが全てこの青年の絵図だとしたら?」と思わざるを得ないでしょう。あの場面でロックを撃ち殺さなかっただけ大したものです……。感情の上でキャクストン少佐が納得できないのは仕方がないですね。
     ……で、ファビオラとガルシア君の最後の発言は、実はコレ、全てが「ロベルタの全否定」なんですよね。実の所、ロックより更に酷い正真正銘の最精鋭テロリストであったロベルタが、「改心したからといってその罪が許されるかと思っているのなら、それはとんでもない思い違い」です(キリスト教だと懺悔で全ての罪が許されることにはなっているのですけれど、だったら法なんて代物は必要ありませんやね)。しかもロベルタの今回の動機が、実は過去の自分そのものへの復讐だという描写が徹底して行われておりました。これは何をしたところで許されるわけがないんです。許されたいと思うこと自体が傲慢です。実際、私の目からすれば「ロベルタとキャクストン少佐とロックは少なくとも、行動に於いては比肩しうる」のは間違いないでしょう。個人的感情から赦せないからといって、過去の自分の行いを棚上げにして正義を語るのは下衆のすることです。
     しかし、ロックもまだ甘かったですね……。自分のしていることが「善意」で、しかもそれが「相手に伝わる」と思っていることが甘いです。常に恨みを抱かれず他人に好かれる人間というのは、単なるイエスマンですよ。善を気取るつもりはなくとも、「自分の意志を貫き通すならどんな汚名も厭わない」のであれば、他人から感謝されることを前提に語っては駄目です(無意識的なものでかつ、ロックは純粋にガルシア君達の生還を喜んだのだと思うのですけれど)。ロックはファビオラから叩きつけられた発言に面食らっていた様子ですから、その辺りの認識を先鋭化してくれると、ロックは更に人間として磨きがかかるのではないでしょうか? そして張さんがいうように、解答を即答する必要はありませんから、ロックも自分が納得できる答えを見つけて欲しいですね。
     ……少なくとも、蜘蛛の糸を渡るよりか細い成功率しかない依頼を完璧にこなしたロックにファビオラがしたことは、途轍もなく礼を失した行為です。依頼を完遂して激怒するなら、初めからそんな無謀なことを依頼してはいけません。無法地帯で破壊活動に勤しむ犯罪歴盛り沢山の元活動家を無傷で確保しろという無茶な依頼をしておきながら、手法が気に入らないからと難癖を付けるのは果たしてどうなんだろうなー? とは思います。ガルシア君も本来なら、例え心中がどうであれ、礼を失したファビオラを窘めるくらいはしなければ上流社会の人間としては品位を疑われてしまいますが、しませんでしたねー……。せめて後に、個人的でも良いですからロックにだけでも礼状だけでも送って貰いたいものですが……。相手が他人であるというのに、自分の想像と違っていたからといってそれを非難するのは、お門違いも良いところです。使命感、正義感が強いというのも、時としては考え物なのでしょうかね……?
     少なくとも、ロックが依頼を請け負ったその時から全ての要素を計算して、敵であれ味方であれ全ての人間を駒として配置していたのは間違いないでしょう。それは「誰かが死亡することも織り込み済み」です。この点を見るとロックの立ち位置は「問題解決屋」ではなく「軍隊行動を指揮する将校」という見方をした方がよいでしょう。そういう方面から見れば、あそこまで追い詰められながら作戦完遂度がほぼ完遂といって差し支えないのは凄い手腕だと思うのですが、うーん、価値観の違いですかね?(まさか、折良く敵勢力の増援が駆け付けて、指揮官も負傷で作戦の続行を不可能と判断し、キャクストン少佐の部隊が本当に撤退するとは思ってもいませんでした。此処まで事が上手く運んで良いものでしょうか……?)
     しかし、前のコメントでも記しましたとおり、「ロックの尽力がなければ、ベネズエラの屋敷にロベルタが帰還することはなかったでしょう」という視点は間違いないと思うので、ダッチの信頼もなくして依頼主からなじられて、最終的に手にしたのは全く必要性のない札束の山、というのは本当に皮肉な話です。ロックは不幸度数が田波君に近づいてきましたね……。

    コメント by Mya — 2009/10/24 土曜日 @ 5:13:02

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