本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 短編集3 12月14日発売!
特典SS他、新規短編&中編も多数収録!

:: 2009/8/6 木曜日::

■[漫画]笑顔とビールに溢れた「もやしもん」8巻

もやしもん 8―TALES OF AGRICULTURE (イブニングKC)
著者/訳者:石川 雅之
出版社:講談社( 2009-07-23 )
定価:¥ 560
コミック
ISBN-10 : 4063522725
ISBN-13 : 9784063522723
作者サイト:石川雅之

8巻は丸々一冊がビール!
主役も武藤さんで、沢木は相変わらず空気です。

今回のテーマは「ビールとはなんぞや?」というもの。
日吉酒店に地ビールを売り込みにきたメガネっ娘の加納さんと、
地ビールに偏見を持つ酒豪の武藤さんが出会ったことを契機に、
農大、地ビール生産者、近隣の住民を巻き込んだ大掛かりなお祭りに!

自分含め馴染み深いはずのビールへの理解が足りないことを痛感した武藤が、
自分一人で奮闘するのではなく、色んな人と協力して、
人と人とが繋がり、大きな盛り上がりを見せたのは感動したなぁ。
自らの過ちを認め、それを挽回する意味もあったんだろうけど、
「ビールとは何か」に明確な答えを見付け、それを実現しようとする熱意こそが、
祭りの原動力になったんだと思う。

ちなみに今回の祭り―、ただただビールを飲むだけのオクトーバーフェストだけど、
実在の地ビール蔵や大手ビール会社も協賛している面白いものになってます。
うちの地元のビールも参加してたりしてちょっと嬉しかったりしました。(笑
巻末の協賛した地ビール蔵の一覧と説明があるので、
そちらをじっくり見てみるのも面白いと思います。

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 Comments (4)

4 Comments »

  1. 苦話§『もやしもん』第8巻~ビール~

    登場してくる酵母だとか菌で遊んだことはあったが『もやしもん』の
    本編を読むのは初めてということなのだ。要するに中身が全編“ビー
    ル”に特化されてのお話ということで買って…

    トラックバック by ひだまりのお話 — 2009/8/6 木曜日 @ 22:36:04

  2.  というわけで、語ってしまうときは樹教授並みに語ってしまう私。醸造酒には少しだけ思い入れがありますので、語らせていただきます! ていうか、執筆を開始してから筆を置くまで今日までかかりましたよ……。内容は醸造酒、特に日本酒に特化した内容ですので、ご興味無い方はスルーしてくださいませ。それでは行きますよ!

     ハイ、おらさ村のビールも登場してましたよ~。そうえも~ん、セレビシエ~。もやしもん八巻、遂に刊行いたしましたね。
     しかし、まさか盛田さん所の金しゃちビールが出てくるとは! 出演してくださるならてっきり、犬山が誇る老舗、小弓鶴酒造様のローレライ・ビール(仕込んでいるビールははピルスナーとヴァイツェンの二種類です。私が初めて小弓鶴さんのお宅に遊びに行った際は、会社紹介にも記載されている火事に遭われた直後でして、蔵が立ち入り禁止でした:涙。実は私、ビールの味がよく分からないので、犬山祭りで供された樽酒を戴きましたが、この本醸造の味は「普通だな~」という感じで、ちと醸造アルコールの味が強く出ていましたね)が出てくると思ったのですが、まさか市街地のど真ん中に醸造所があって、ビール社創業も恐ろしく最近のワダカン株式会社様が登場なさるとは……(ビール醸造専門である盛田ビール様の創業が平成八年。本業は味噌と醤油の発酵調味料専門であった株式会社様なのですよ)。うーむ、仕込んでいるのは基本的にラガーですか。確かピルスナーとかペールエール、アルトとかも仕込んでいたはずですが、恐らくは取り分けて苦いタイプですね。会社が新しいにもかかわらず金しゃちビールはドラフトが何と、名古屋の一等地にあるビア・レストランで楽しめるのですが、醸造蔵の写真を見てがくっと来たため、実は真っ先に外遊先から外した過去があったり(スミマセン!:汗)。いやー、そういわれてもやっぱりですね、関谷醸造さんみたいにコンベアーとかに乗って醸造しているお酒はなんとなーく、外してしまうんですよね……。ナショナル・ブランドのお酒なんかは余りに味が妥当すぎて逆に面白くない様に感じる人間ですので、方程式に当てはめるお酒は奇跡が起きません。故に「嗜好品」として考えるとどうしても、失格の烙印を押してしまう傾向にあるんですよ……。利鞘が少なくなることは承知の上なんですが、自然現象をたかが人間様の手で管理しようなんて、ちと森羅万象にも松尾様にも失礼な気がしまして。金しゃちビールは日本開催のインターナショナル・ビアコンペティション(国際試合ではないですよ、念のため。日本国内のコンテストです)で受賞していますが、酒の賞に限っては、実は日本は余り信用できなくて……。越○○梅や八○山の何処が旨いか分からず、日本酒に限っては金賞受賞酒を大金貢いで沢山、呑んできましたが、これが別段、私には余り美味しくないんです……(岩○醸造様の「女○主」ですとか、決して不味いわけではないのですけれど、四合瓶で五千円を突破するというのは……。「美味」という訳でもないですし、岩○様のお酒は甘い味の造りが多いので、女性には好まれるかもです←一口目で「甘っ!」って叫んだのはナイショ)。逆にフラリと尋ねてみた近場の酒造蔵、平野醸造様「母情-大吟醸-」が余りに旨すぎて吃驚(推薦できるお酒は伏せ字しなくて良いので、安心できますねー)。余りに驚いて色々お尋ねしてみたら、「うちなんて金賞とは全く縁がないよー!」って奥さんに笑われました。これでもう完璧に信用しなくなりましたね、金賞は。唯、「母情」も大吟醸と純米大吟醸の二種類以外は全く造りも異なったなんということもない普通のお酒なので(使う米も仕込みも醸造の量すら違いますので、正直なお話では全く違うお酒を同銘柄に列する風習が、日本酒文化の混乱を来す原因の基になっているのではないかなと思っています)、最上位二種類のみがお奨めです。大吟醸が一升五千円、純米大吟醸が一升一万円(四合瓶はそれぞれ半額です)、純米大吟醸はちと高い、というか値段としては相場なのですが、味と対比すると大吟醸の方がお得感が高いので、常飲するのでしたら大吟醸をお勧めします。すんごいすっきりした喉越しなのですが、きりっとしていながら不思議と後味がふわりとしてます。燗酒には向かず、やや低温以下にて呑むが吉、京料理のお相伴という程には垢抜けていないですが、それでも間違いなく和風のお料理と相性が良いです。お奨めしたいのはもう一社、当連載「もやしもん」にて作者の石川雅之先生と懇意である高垣酒造様、「龍神丸」はご存じの通り中取り無濾過原酒なのですが、結城螢が作中にて述べていた酒税法の関係か、税率がアルコール度数22%まで一定になったくらいの歳から年々、アルコール度数が上がっていったんですよw ちなみに私は18%以上~19%未満でダウン。20%行かないのにここまできついのかー!? という感じです。螢の言うとおりですね、コレは……。「龍神丸」は「中取り無濾過原酒」なので加水も熟成もしていないものですから、やはり味は粗め。ちとトゲがあります。しかも火入れすらしていないので、本当に足が早いお酒ですから、購入したら絶対にとっておかず、早めにどうぞ(参考までに、高垣酒造様の寝かせ蔵は氷点下20℃保管です。専用の知識と設備がなければ、火入れしていない生の酒はどうやっても味が落ちますね←体験者。本気で生原酒を長期間、保存しておこうと思うと、専用、というか個人酒蔵用として販売されている専用の冷蔵庫が必要となります。そんなものあるものかとお思いの貴方、実は一升瓶専用冷蔵庫としか思えない品が販売されていますw)。「龍神丸」は初絞りのみの数量限定生産であるため競争率が恐ろしく高いのですが、逆に高垣酒蔵様のブランドでどうしてこれが売れ残る? と毎年、疑問に思っているのが同社様の大吟醸「月の歌人」。10年ものの古酒を500mlの小瓶で年間200本しか生産されないというのに、何故か売り切れた試しがありません。しかも一瓶たったの三千円ですよ!? 高垣さんに「うちの地元の岩○醸造様だと四合瓶の三年古酒で六千円するんですけど、元が取れるんですか?」と質問してみましたら「うちで三年古酒をその値段で売ったら、在庫の山だよー」って大笑いされました……。金賞酒なんて死んでも有り難がって呑むものか! と心に誓った瞬間でした……。京は上京、聚楽第跡に立つ佐々木酒造様の「聚楽第 純米大吟醸しずく酒 一升瓶(桐箱入)」も購入したのですが、今まで利いた日本酒の中ではやはり断トツに「月の歌人」がトップです。「母情」が涼やかなるも一含みの暖かみを持つ爽やかな女将の酒とすれば、「月の歌人」は湿度無くざっと晴れた皐月の初夏に響く風鈴の音です。余りにもするりと入ってくる喉越しの良さに、吃驚しますよ! 高垣さんと一緒に利いた友人も、やはり「月の歌人」に日本一の太鼓判を押していました。本気でお奨めします、「月の歌人」。旨すぎて目が醒めますよ! ちなみに、やはり金賞を受賞している三河の丸○醸造様の「純米大吟醸 徳○家康(桐箱入り)」(伏せる意味無いような……)ですが、こちらも呑むと吃驚しますよ! だって、高垣酒造様の「大吟醸 紀勢鶴」と同じ味ですもの……。桐箱入りの低温熟成した播州産山田錦35%純米大吟醸(しかも、確か生酒)が、半額の火入れした大吟醸と同じ味になっているというのは、賞味な話、知識としては分かっていても実際に「お金を払って体験してみると」かなり面食うものです……。あるんですねぇ、三州と紀州という、遠く離れた土地の酒蔵で仕込まれた二つの銘が重なるということが……。が、名誉のために一言。丸○醸造様は杜氏さんを筆頭として一丸となり、本当に真摯な態度で酒造に情熱を賭けておられます。街とあそこまで密着した酒蔵さんというのも私は中々に知らず、季節に一度くらいの割合で蔵を見学用に開放してくださるのですが、その時は杜氏さんが付きっきりで熱く語ってくださいます。しかも経営者様もかなりしっかりとした経営理念を持っていらっしゃる方らしく、当代に代わってからは、従業員数をばっさり半分に切る代わり、それまでの酒造という仕事が半年雇いの出稼ぎ業であった点をいち早く改善し、味を保ち更なる高見を目指して杜氏以下、全従業員を完全雇用にしてしまった近代型酒造蔵の嚆矢です。紀勢鶴と徳○家康については、自然を相手に商売していると、こういう面白いことも希にあるのだなぁと素直に感心します(どちらの酒蔵様も発酵管理は人手でして、完全自動化は為されておりません)。恐らく、米の仕入れは同じく双方共に播州産。麹米も同じくでしょうね。丸○醸造様は自社に精米器がありましたので、その点を除けば(高垣酒蔵様の蔵に精米器はありませんでしたので、恐らくは精米済の酒米を仕入れているものと思われます)違うのは造りと水、酵母、あとは添加した醸造アルコールだけだと思いますが、それで結果的に同じような味が誕生するというのが、実に面白い出来事でした。丸石醸造様でお奨めするなら、寧ろ純米吟醸(今では酒税法の関連か「特別純米酒」という銘柄になってますね。私の頃は「純米吟醸」でした)「葵の風」ですね。越前産五百万石の精米歩合60%で造った純米酒をよくぞここまで呑めるものにしたと、感心いたしました。爽やかで癖が無く仄かに甘い、文字通り、葵の風のような優しいお酒です。
     あ、石川先生も仰っていましたが、三増酒や合成清酒、果ては一世代前のナショナル・ブランドが造っていた蔵買い日本酒のイメージで「大吟醸より純米大吟醸の方が上」という思想をお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、それはちと損です。私の経験では本醸造クラスでも、きちんと仕込む蔵は綺麗に醸造アルコール独特の臭さを消していますよ(日本酒に対して余り技術のない酒蔵様が造ったお酒は前述の通り、何か鼻につく臭い{利き酒=ブラインド・テイストでは「吟香が悪い」と称します}がします。犬山の小弓鶴様は、そういう意味で本醸造は余り美味しくないですね)。私は「味を楽しむ」だけで量を殆ど飲めないため、一升瓶で半年以上保つような超が付くくらいにちびちびと呑む様な下戸なのですが、量を飲む方が同じだけ純米大吟醸や大吟醸を買えるかというとそうではないわけで、となると「如何に良い本醸造を造るか」をどうこなすかにかかってくるわけです。ですが、利鞘の関係でも店の看板としても、絶対に「大吟醸と純米大吟醸を抱えていない蔵は潰れる」のも昨今です。トップクラスの存在意義は、謂わば「客寄せ(集客度)」と「見せ(信用度)」ですね。ですが、「大吟醸」を名乗るクラスの仕込みが、これがもう大変で大変でして……。器具の洗い水まで仕込みの水を使い、浸漬の時間は秒刻み。蒸米の時間も火力も徹底管理、麹米を爆米させるのも米の心白がしっかりしていないと駄目、麹室に異常があっても駄目etc……。調べれば調べるほど「うわぁ」と思うコトしきりで、更に醸造の関係でそれを冬場、大体が一月下旬から二月初旬に行わなければならず、それでも本州以南と北海道では「冬場の気温が寒すぎる」「夏場の気温が低すぎる」もしくは「冬場の気温が熱すぎる」「夏場の気温が寒すぎる」為に「日本酒の醸造自体が出来ない」様な繊細さがあるわけです。ですから、そういった気候の関係から自動的に九州は焼酎の本場となり、北海道以北の国々で「醸造の文化歴史自体が殆ど無い」のもその証であるわけです。日本でほんの十年足らずの前まで「焼酎の地位が低かった」のは、石川先生の「もやしもん5巻」で明らかにされたとおりでして、「焼酎を買っているだけで嗤いものにされる」時代がほんの十年ほど前まで続いていました。現在では国税庁指定の「特定名称酒」とは別に、国税庁の酒類表示に新しく、地理的表示として「薩摩焼酎」が加えられましたが、これが平成十七年十二月、つまりは僅か四年前のことです。しかも、「薩摩焼酎」を名乗る事が出来るのは実は旧「薩摩」で造られた焼酎だけという厳しさで、焼酎に原産地等、厳密な表示義務もなく、自主的にそれをするところも「薩摩焼酎」意外にほぼ皆無。つまり、今以て焼酎選びとして吟味されるのは「甲類」「乙類」の蒸留方式、「28度」と「36度」のアルコール度数、そして「原材料名」だけなのです。後は銘柄の開拓を自主的に行わず、「百年の孤独」「森伊蔵」「魔王」「村尾」「伊佐美」「神の河」といった有名銘柄を名指しして購入するのみです。一昔前の日本酒で起きた現象そのままですね。今は分かりませんが、ほんの二十年前までは明るいうちから水割りを片手にわいわいと談笑する宮崎県の方々が目に美しかったのですが……(あの陽気が本音で羨ましかったです)。ロシアにウォッカしか無いのもその為で、あの火が付く程のアルコール度数は平均気温の寒さを物語るのです。日本本土北岸の米所ほど酒蔵文化が声高なのは実は、日本農耕史に於いて顕著な例でして、昭和中期まで殆ど「米のみ」しか口にしてこなかった日本人(国史を調べていただければ分かりますが、食膳にて必ずおかずが家族一人に二品以上、付くようになったのは昭和中期以降のお話で、全国平均として根付くには高度経済成長まで待たなければなりませんでした。「江戸患い」と呼ばれる、文字通り江戸で多発した病がありますが、これは実は「脚気」でして、主な原因は特定の栄養分が不足したことから発症に至ります。が、脚気が江戸に広まったのは皮肉にも、「銀しゃり」と称されるほど重宝がられた「白米の主食化」が原因です。この時代は小鉢に一皿、おかずが付けばいい方で、概ねは主食によるカロリー摂取のみで日々を過ごしておりました。が、玄米や雑穀、蕎麦などを食すお百姓には発症率が低く、富裕層にばかり集中して疾病が流行したのは、偏に玄米の豊富な栄養素すら削って糠として捨てていたからです。割と皮肉な病気ですが、粟や稗といった雑穀は確かに不味いので、白米を食すことで富裕層のステータスシンボルを誇りたかったのでしょう。事実、化学肥料が輸入されるまでは白米の稲に雑穀が居着くことなどざらだったのですから、除草剤すらも無い当時、白米を収穫するには手作業で苗に付いた雑草を毟らなければならず、並ならぬ手間が必要だったのです)は、「夏の終始で稲を育て、晩秋にそれを収穫」以外の基本ライフスタイルが殆どありませんでした。「農繁期以外は何をしているの?」という問いに解答は様々で、それこそ「地方に依ります」というのが答えなのですが、我が国で「農繁期」という言葉が皐月から霜月(旧暦~)までを自動的に指すのも半ば、答えをいっているようなものです。冬に田畑にて収穫できる作物を持つ地方はそれを作って中央(江戸)や上方(京)の金余り地方に出荷したり、切り干し大根や干し柿などにして加工品として商品の付加価値を高めたり、保存が効く故に保存食にしたりするわけですが、雪国は文字通り、土地が雪に閉ざされるため、「酒を造るか子供を作るくらいしかすることがない」訳ですよ。それまで寺社が独占していた酒造(酒浸りは戒律破りの破戒僧でしょうが、この腐れ坊主共め! といいつつも、例えば臨済宗の名僧、一休宗純は僧の身でありながら妻も子も持ち、大いに酒を好んだ奇行が目立つ異色の僧でしたが、彼を慕う人間は実に多くありました)を町衆が行いだしたのは、安土・桃山時代に入って暫くした分国時代、平たくいえば寺社勢力の影響が弱まり、酒造技術が町方に流出し、更には国主の権限が極めて強くなったこの時代を特徴するものですが、実はこの時代でも酒所としては摂津や伊丹、灘といった上方が圧倒的に有名だったりします。では何故、現在のようあらゆる地方に酒蔵があるのかと申しますと、これも平たくいえば前述の通り、「酒を含めた食料、器、箸、刃物、建物、織物といった生活必需品や技術は、ものの善し悪しさえ問わねば、絶対に全国各地に生産元があった」というのが結論です。これらがなければ文明水準が石器時代まで遡ってしまいますから、少しだけ考えれば別段、難しいことでも何でもない訳ですよ。単純に文化水準の標準化のお話ですね。で、流通も技術も現在ほど発達していないので、世界の酒類から見ても特に腐りやすい日本酒は、特に上物は絶対に下々には回ってこなかった訳ですが、大凡の地方の方々は自家生産できる濁り酒、俗にいうどぶろくを口にしていました。今以て尚、山間地でどぶろくが多く生産されているのはその為ですが、今の日本酒である「清酒(濁りがない澄んだ酒。濁り酒に対して「澄み酒」ともいいます)」もそういった時代を背景として、各全国に流れ着いていきました。要は、腐りやすい日本酒も殿様や代官クラスには人気があったので、地方でも需要がそれなりに出たわけです。更に話を進めてしまいますと、その頃から現代に至るまで、産業形態自体は今以て尚、一貫して共通しておりまして、その代表格が「酒造」に当たるわけです。どういう事かと申しますと、「農繁期以外で都合良くみっちりと日程を詰める事が出来る出稼ぎ産業で、一番実入りが良かったのが酒造」という方程式が成り立つのです。ハイ、これが「雪国から名杜氏が生まれる要因となったうちの大きな一つ」に当たるわけですね。ですが次第に高度経済化と質以外のマーケティングや流通販路といった商業的施策が重要になってきた近現代では、重労働に対しての実入りが次第に悪くなってきまして、高齢化とブルーカラー離れがそれに拍車をかけ、日本酒離れのビール定着がその動きに更なる輪をかけてしまい、日本の酒造業界は一気に衰退してしまったわけです。実際、造りが日本酒ほどには重要視されない(他の醸造酒が簡単だといっているわけではなく、日本酒が特別に繊細すぎるのです)醸造酒ならノウハウさえあれば出来たとしても、日本酒にまでそういう理屈は悲しいながら通用せず、例えば遠州の銘酒、「磯自慢」を仕込んでいらっしゃる磯自慢酒蔵様の先代杜氏も「大吟クラスが無ければまだやれたんだけどねぇ」と苦笑しながら勇退なされたのが記憶に新しい所です。それでもとうに定年を過ぎていらした75歳の身体(!)に鞭を入れて働いていらっしゃったわけで……。酒造の鬼ですな、先代杜氏(現代ではどうやら、先々代になっているようです)である志太杜氏の横山福司氏。普通は絶対に引退しますよ。何処のサイボーグじいちゃんですか、貴公は……。というわけで、磯自慢酒造株式会社の元杜氏、横山福司氏の名前を密かに公開!
     更に時代は進んで前世紀末、未曾有のバブル景気が到来して地方の極小酒造は、「自社で酒造するよりも大手ブランドに蔵自体を身請けさせた方が実入りがいい」と、蔵人の首を全員、ばっさりと切って一斉に寝返ったわけです。が、バブルが弾けると同時に大手も生産を一斉に縮小。結果として身売りした酒蔵は元の蔵人にも袖にされ、真っ先にそのあおりを受けて一斉倒産という憂き目を見たわけです(この時代の日本酒醸造蔵の廃業率は凄まじいものがあります)。現代でも細々ながらもコツコツと生産を続けていらっしゃる酒蔵とは、その動乱を先見の明(一概に手放しで賞賛するわけにもいかず、確かに冷や汗ものの博打で生き残った可能性も否定できませんが、しかし博打は打つべき時に打つべきです。それが「歴史」という事象を以て「先見の明」と呼び習わされるわけですよ)で以て生き延びた地方の蔵が、現在の「地酒」と呼ばれる酒蔵になったわけです。が、それでも緩やかに日本酒の酒蔵は減少傾向、つまり毎年、必ず創業より廃業の数が上回っている訳です。そんな状況で大吟クラスという商品は、確かに酒蔵にも利鞘は大きいのですが、普通酒と比べるなどとは以ての外、本醸造クラスと比べてすら比較にならないという果てしない重責がかけられている点が大きく異なる事を是非、覚えておいていただきたいです。
     その上で、大吟醸のアル添は概ね「味を引き締める事を目的として」加えられています。というのも、元々が吟醸酒というものは実は「醸造アルコールの添加を前提として造られたお酒」なので、寧ろ理屈としましては「純米大吟醸の方が味に於いても香りに於いても一歩、劣るのが当たり前」なのですよ。逆の言い方をすれば、「純米酒を更に旨いものにするための技術がアル添」な訳で、これまでに私が見て、更には現在も連載中の日本酒漫画の多くが大体「純米大吟醸の方が大吟醸より上」というニュアンスの描かれ方をされているのは、甚だ小首を傾げる次第です。最終的には個人の好きずきなのですが、純米大吟醸の方が香りが控えめなのは、日本酒の香り成分が醸造アルコールが添加されることによって、不完全燃焼のように融け残った香り成分が引き出される為です。良くも悪くも純米大吟醸の後味が口に残るのも、醸造アルコールを添加していない為で、良い純米酒は味が余韻を引きます。これを「味がべた付く」と嫌う人もいるのはこのためで、一概に「良い日本酒といえば純米大吟醸酒」として万人にお勧めするのは、実は危険な行為でもあります(喉越しと切れ味を特別に重視するような、日本型ビールやウイスキーしか知らずに移ってこられた方に、「代表格かつ最上位」という表現で純米大吟醸酒を呑ませてしまうと、「甘くて呑めたものではない様なこれが最上位か」と日本酒自体を見限られてしまう可能性があるのです)。詳しくは石川先生が「もやしもん-日本酒醸造編-」にて解説してくださるそうなので、恐らくは作中の一月下旬となる筈ですが、そちらを待ちましょう。こっそり申しますと、個人的には現在の「大吟醸が純米大吟醸の半額で買える市場標準価格」であっていただきたいのですけどね。大吟醸まで純米大吟醸の値段に上げられたら泣きますよ、私。
     余談として現代の杜氏不足問題に触れておきますが、平野醸造様は現在、杜氏組合から紹介された雇い杜氏(青森出身の方と仰っておりましたから、素直にとるなら津軽杜氏でしょうが、津軽杜氏は全滅の危機に瀕しているらしく、ひょっとすれば南部杜氏かも知れません)を頭として、酒造に関わる全員が、やはり仕込みから口切りまでの半年雇いだそうです。逆に、もしくは高垣酒造様のように、杜氏が全て一人で主業務をこなし、後は家族の手を借りるのみという、二通りの業態のどちらかが今の主体なんですね。雇い杜氏に頼っていると、どうしても杜氏の代替わりで味が変わってしまうため(酒造りの技術は一子伝承! ですが、余りの辛さと実入りの少なさに、現代では希望する実子にすら教えたくないという方も多いそうで……。では余所の方に教えるとなると、これが技術流出に繋がってしまうため、実に難しい問題なのですね……。恐らく、杜氏組合も頭を抱えている事象ではないかと存じております)、平野醸造様は跡継ぎの息子さんが自主的に酒造を手伝い、目下、杜氏になるべく修行中とのことでした。上手くいけば何とか、私が生きているうちくらいの代替わりによる味の大幅な変化というものはなさそうで、胸をなで下ろしている限りです。高垣酒造様のお宅は、確かお子様が娘さんだったはずで、ちょっと心配だったり……。今日日、出荷百石が千石に満たない程度で自社雇いの業務員がいる酒蔵さんなんて、殆ど存在しませんからねぇ……(高垣さんも日本酒蔵ですが、売り物に手をかけるわけにも行かず、楽しみは週に一度のアサヒ・スーパードライだそうです……)。資本力がなければやりたくとも続けられない業種でもあり、地産地消が離れる傾向にある今日では特に厳しいです。皆さーん、地元のお酒を愛してあげてくださいね。酒なんて古来から人生に欠かせないものとして、「必ず地方に存在するもの」なのですから。大手流通に負けるな、地元酒屋! 仏教は禁酒思想ですが、私は神道信者でもあるので、「御神酒あがらぬ神はなし」で御座いますよ! 余談ついでにもう一つ、前述の金しゃちビールの何処が気に入らないかと申しますかと、新規参入が平成に入ってからだというのに、既に栄の一等地にビア・レストランを構えていることです。これは一目で見ても「味より資本力で顧客を囲い込んでいる」という事実に映るため、上記の理由以外でこの一点が、金しゃちビールを余り好まない点なのであります。
     と、話が逸れました。ビールの話題に戻します。
     実は、私も武藤さんと一緒で、地ビールにはかなり偏見があります。と申しますか「地ビール」とか堂々と銘をうっておいて、実は中身は発泡酒とかいうオチはどうなのよ、養老○ビール@西濃○ルワリー!(みのりん風にベランダから叫びましょう) や、ほんっきで地ビールってこんなオチがよくつくのですが、それでも名前を使用するに当たってか、観光地特有の有名税が付加されるものですから、騙されずによく見ると、ナショナル・ブランドの中瓶より値段が高くて量が少ないわけで。そりゃもう、幾ら何でも地ビール不信に陥りますって。ブルワリーではなく店で呑む場合は、必ず裏面の製品表示を確かめてから呑んでくださいね、皆様。
     私が知る限りでは、「本物のビール」で地元を代表できそうな会社様は、尾張三河ですと、特にお奨めできるのは、前述の小弓鶴酒造様の有名銘柄「ローレライ・ビール」。安城の公共テーマパーク「デンパーク」に卸している、いつも「デンビア」と呼んでしまう安城デンビール様のデンマーク・ビールですね。デンパークでは敷地内で三種類のデンマーク・ビールがドラフト常飲可能です。勿論、ビア・レストランもありますので、そちらでも楽しんでください。
     や、上記の通り、私はビールの味がよく分からないので本当に試飲しないのですよ。エールも駄目でしたし、ピルスナー代表格のエビスビールも駄目、割と努力はしたのですが、お子様舌なのでしょうかね? ビールの良さがよく分からないコトしきりなのですよ。同様にブラックのコーヒーも駄目ですが、こちらはドリップの美味しさくらいは理解できます。薫り高く味が濃厚な細挽きの深煎りが好きですが、ミルクを入れないと飲めません(涙)。お茶なら大陸茶でも日本茶でも紅茶でもいけるのになー(大陸茶、特にお奨めですよ。アレは旨いですし、種類が実に豊富で味も千差万別。大陸茶は、日本の茶道や西欧の紅茶のように文化として洗礼されておらず、「美味しい淹れ方が追究されていない」為に淹れ方が難しいのですが、その点も含めてでしょうか、実に面白いです。私は蒸留酒も全般的に駄目、ブランデー、ウイスキーなどはそのアルコール臭が全く駄目で、辛うじて乙種の焼酎がいけますが、香りがきつく癖のある芋は全く駄目、甘みが喉にしつこく残る黒糖も駄目。結局、麦か米しか飲めないという本末転倒具合。ですから焼酎は買いませんし利きません。お酒は日本酒が一番です……。しかし、ヴァイツェンはそんなにフルーティーな味わいなんですかー。一度、利いてみないと……。あ、でも梅酒ですと、途端にホワイト・リカーなんざ呑めるかという我が儘を垂れます。絶対に良い麦か米の乙種焼酎でアルコール度数は36度のものを使用、五年は浸けてもらいたいですぞ! 勿論、酒税法違反ですけど(信じられない話ですが、自宅で果実酒を漬けると酒税法違反となります。詳しいことは存じませんが、調べていただければ即座に主旨が出てくるはずです)どぶろくや果実酒すら自宅で漬け込むことの出来ない悪法なんざ知ったことかという感じですね。税務署員を派遣してみろぃ、コンチクショー。
     あ、後ですね、尾州には実は、本場物のドイツ・ビールを楽しむことが出来る、民間レジャー施設「リトル・ワールド」(名古屋鉄道株式会社資本)のドイツ・レストラン「ガストホフ・バイエルン」が存在します。実はこの施設で働いていらっしゃるのは、きちんとした専門知識を持った外国の方でして、「こんなビールを探してるんですけど、何処のブルワリーが造ってますか?」と尋ねると、一発で答えが返ってきます。他にも白ソーセージですとかが滅茶苦茶、スパイシーなものがあったり肉の味を充分に楽しめるものがあったりと、実に美味しいです(チェコですとか、ドイツ語圏は例外なくソーセージが美味しいみたいですけどね)。が、民間資本でありながら、私の目から見ても余り経営努力を裂いているようには見えず、毎年、多額の赤字を計上している模様で、2004年くらいでしたか、閉園の記事が新聞報道に一報として記載され、「あー、遂に潰れるのかー」と郷愁めいた思いが宿りましたが、施設はきちんと経営を続けております。不思議。公的資金でも注入されたんでしょうかね?
     というのも、名鉄資本のテーマパークは大きく分けて「日本モンキーセンター」「リトルワールド」「明治村」の三箇所があるのですが、このうち「日本モンキーセンター」は実は京都大学の付属研究施設でして、潰れる心配がありません(その代わり、名鉄犬山駅からのモノレール直行便は廃線されましたけれどね)。「明治村」も貴重な文化財が全国から集まっているので、「リトルワールド」と同じくして赤字を計上しながらも、こちらは文化財が保存されている関係上、潰すに潰せない事情があります(実は国を含めた自治体に指定されている文化財を補修維持していくのはもの凄く大変ですよ。上手くお客を集めてお金を落としてもらわないと、逆に保全義務が果たせずにやむなく譲渡してしまうことも少なくありません。日本で唯一、個人の所有であった国宝である犬山城も維持にてんてこ舞いで、犬山城は他にも明治維新以降にて唯一、廃藩置県までの短い間ですが、犬山藩として独立を果たしたという尾張藩付け家老成瀬氏が、自治体から払い下げられた犬山城を自己資本で購入したのが事の発端でして、そこから唯一の個人所有国宝だったのでしたが、2004年、遂に所有を手放しました)。というわけで、この名鉄三大テーマパークのうち、真っ先に首を切られるのはリトルワールドの筈だったのですが、まだ保ってますね。名鉄ももう少し経営努力をしていただきたいなと思うのですよ。例えば各国資料展示は国際色が高く資料性も強いのですから、展示施設に関わる一切は公共施設に指定、その代わり、収益性の見込める施設を併設すること。この施設に関しては日本と大使館を交換している国の全てが建設に参入できるものとし、事前計画は大使館員がプレゼンで文化庁、並びに名鉄に説明。きちんとした文化性の保持観点から文化庁、並びに収支計画書が提示され収益性が見込めると名鉄の双方が合意した場合、出資金の貸し付けも都合する。お上とスクラムを組むなら、これくらいの事は出来ると思うのですが、やらないですねぇ……。確かに二十年前なら「インド料理店」「フランス・チーズとワインのお店」「ドイツ・ビール」の三店だけでもお客を呼べたでしょうが、今では正直、苦しいです。民間で美味しいカレー圏の料理等は食べられるようになっていますしね。それもパキスタンは回教、インドはヒンドゥー、ネパールもヒンドゥーですが、国教ではなくなりましたので少ないながら仏教徒も存在します。タイは敬虔な仏教国ですが、カレー圏でもあります。同じカレーでも文化によって調理法と材料はかなり差異を見せますので、互いに相当に異なる訳ですよ。いっそ、大規模な宴会施設を造って名鉄バスと提携すれば良いのに、とも思うのですが。本格的に料理でも客を呼べるようにはしないんでしょうかね? その点、長崎のハウステンボスは一度、倒産の憂き目に遭いましたが、民事再生法の梃子入れのおかげか、名誉料理長で日本一のシェフと誉れも高い上柿内勝氏がプロデュースした料理が、何と外交官経験者などの方々から「オランダ本国の料理より遥かに旨い」とまで言わしめ、建築物や街並みも実は「オランダの良いとこ取り」らしく、最近では「オランダに行くなら長崎に行く方が正解」とまで言われています……。うーむ。とまれ、リトルワールドとデンパークがある尾州や三州は、ビールの面で見れば割と恵まれております。
     醸造酒ですと、世界二大醸造酒といわれるビールとワインは私、本当に全く駄目なのですが(ビールは苦さと訳の分からない味の集合体が駄目、ワインはあの渋さが駄目です)、紹興酒は何故かいけます。というかアレはすっぱりと断言して美味しいです! ……とはいっても私が呑んだことがあるのは、今は潰れてしまった地元の小中華料理店(今考えると、「中華料理」というのも具体的にどの料理を指すのか意味不明ですねぇ……。ごちゃごちゃに併合されて続けている結果、寧ろ捨てられている文化の方が多いような気がするのは私だけでしょうか? 言語も料理も北京、上海、香港、四川と大きく分けてすら四つありますし、「中国語」等というものが存在しないように事実、お互いの言語に互換性もなく、料理についても、例えば小龍包も元は上海の田舎料理であったのが、台湾を経由して日本に伝わり、そこから逆輸入された経緯があります。チャイナドレスも元は、南方、確か満州族の一民族衣装に過ぎなかったのを日本経由で国際社会が勝手に認定し、それを後の中華民国系が逆輸入したという経緯が御座います。元は満州族の民族衣装ですから恐らく、清朝廷からの伝来ですかね。確か、清王朝が滅んだ後も上海では租界地であった影響からか、割と長く息を残していた様子ですが、現在にて勘違いされているように、アレは「漢族の民族衣装では御座いません」。逆に日本では帽子の文化が全く発展しなかったので、私は寧ろ、必ず帽子とワンセットになっている北辺の民族衣装の方が好きなんですが、とある歴史的大事象を経て、殆どが立場を人民服に取って代わられてしまいました。これを文化破壊といわすに何と称しましょうやね、全く……。今でも本気で後世に残っていていただきたい民族衣装なんですが、グスン……。基本的に現在、大陸で発展しているのは上海以南の湾岸地区と天津や北京といった一部の内陸地のみですので、南方の湾岸民族衣装は当然ながら、亜熱帯地方に住まう民族の衣装だけあって簡素。ですから北辺から内陸にかけた低温主体の地方に残っている民族衣装は布を多く重ねるため、色彩が本当に驚くほど美しく、刺繍も実に見事。具体的に想像していただくなら、3×3Eyesでよくパイが表紙を飾っていた衣装を想像していただければ最短です)のおじさんが個人的に台湾の醸造元から輸入していた紹興酒なので、全く紹興とは関係がないんですね。逆に本場の紹興酒を呑めと言われると、ちと怖いかも知れません。ちなみに、「老酒」はまぁ、「紹興酒の古酒」、つまりは長期熟成させたお酒なのですが、大陸のお酒は統一名称がないので何と呼称したものか、ちと困りものなのです。「紹興酒」は文字通り紹興で造られた事を故事とするお酒の事でして、決して「統一ブランドではない」のですが、「日本酒」や「ビール」、「ワイン」といった母国の代表的なお酒を指す代表名詞が存在しないんですね。というわけで、仕方なく誤解を恐れずに「紹興酒」と呼ぶか、又は「黄酒(ホアンチュウ)」という醸造酒を指す名詞を用いるのが大凡です。「女児紅」は映画になるほど有名になりましたが、あれも中身は紹興酒ですので、出来上がるのは老酒。ですから、「黄酒」は地域によって味が全く異なるので、「私が呑んでいた紹興酒が美味しかった」からといって例外なく「紹興酒全体が旨い」という訳にはいかないのです。難しい問題ですが、日本酒もビールもワインも、仕込む蔵によって全く味が違いますしね。東アジア圏は回教徒圏、キリスト教徒圏を除けば酒の文化は彩り豊かですよ。ちなみに、観光地として有名なインドネシアのバリ島は、国教がバラモン教、つまりヒンドゥー教で、更に元の宗主国であるオランダが追いやった文化を、その反骨精神で脈々と受け継いでおり、その結果が現在のような観光資源として大活躍するような独自性を伴ったものになりました。しかし、バリ島を所有するインドネシアは宗教の自由が認めラテいるかたちの上で回教が国教(その代わり、確か「無宗教」が禁じられていたはずです。お隣で起きたような極左の共産化運動を恐れた結果でしょうかね? 曰く「宗教は麻薬」)なのですが、バリ島だけは前述の通りヒンドゥー教がほぼ百パーセントの信仰率を誇っています。ですがバリ島のヒンドゥー教はインドのヒンドゥーとは大きく異なり、身分差は殆ど無いようで、文化も実に類を見ず独特。故にバリの文化を「バリ・ヒンドゥー」と呼称することもあります。が、実は接する東ティモールのみはぽつんと旧ポルトガル領で、ハーグ円卓会議のインドネシア独立までキリスト国教圏としてばっさり隔絶されていたため、半強制的にインドネシアが併呑した東ティモール問題が近年まで独立の是非を問われていたのです。複雑ですね。というわけで、ヒンドゥー教徒ながら禁酒の影響が強いバリ島を含むインドネシアは禁酒が半ば国是なので、お酒が売っていても呑まない方が吉です。下手をするとメチル・アルコールで造られた爆弾酒の可能性もありますから←本当です。
     えー、前述の通り、醸造酒は全く飲めませんので味の善し悪しも分からず、従って興味も持てないため知識もありません。ウイスキーが基本的に麦酒の醸造酒。ブランデーが基本的に果実酒の醸造酒ですが、ウイスキーはスコットランド生まれで、ラテン語で「アクア・ウィータエ (aqua vitae) 」=「生命の水」と称されるのが実に面白いところです。同様にブランデーはフランス語で「焼いたワイン」と称されます。一応、発祥はスペインとされていますが、国としての大量生産に初めて乗り出したのはどうやらフランス。そんなわけで旧スコットランドで生産され、伝統的な手法を今も受け継いでいるウイスキーを特定名称として「スコッチ」と呼ぶのはその為。同様に「コニャック」もフランス語ですが、こちらは「アルマニャック」と同様にどうやらかなーり厳しい規制があるらしく、コニャック地方で造られたもののみ「コニャック」、アルマニャック地方で造られたもののみが「アルマニャック」と称することを許されていないらしく、本物はとんでもない価格で取引されている様子。値段のスケールこそ劣るものの、その辺りは薩摩焼酎と同じ道のりですね。ワインもブランデーもフランス産だけは常にこんな具合ですね。もやしもんの七巻巻末にてマリーが動揺を隠せない通り、特にワインは各国の猛追が凄まじいので、酒余りの状態なのですが、ロシアでは「コニャック」=「ブランデー」なので、ちと混乱。ウイスキーにもシングル・モルトとブレンデッドの二種類があるのですが、日本でいう「グレーン・ウイスキー」は今では殆ど生産されておらず、残っているのは唯一「バーボン」のみ。ハイ、バーボンはご存じ、アメリカ産のお酒でトウモロコシの醸造酒を蒸留したお酒です。ですが、本国で「グレーン・ウイスキー」は「安物の紛い物」とされるため、今では単品では姿を消して各種麦酒やリンゴ酒などの複数蒸留酒を混合した「ブレンデッド・ウイスキー」が有名となったわけです。サントリー様が生産しているウイスキーや、今はアサヒビール様の子会社となったニッカウヰスキー様のウイスキーを筆頭とした「ジャパニーズ・ウイスキー」もこの二通りがありますが、他国とは異なり「一社のメーカーがシングルとブレンデッドの二種類を必ず銘柄として所持している」のが独特な特徴です。そのうち国内初のウイスキー蒸留所として生産を開始したのが、千利休が茶室を構えていたとされる大阪府島本群本町のサントリー山崎蒸留所。ここで初の国産ウイスキーが製造され、今でもそのウイスキーは「山崎」の名で生存しております。そんなわけで「山崎」は日本最古のシングル・ウイスキーでして、数年前にその日本最古である証明の品「山崎35年」が競売の形で売りに出され、ボトル辺り百万くらいした記憶がありますね……。ブレンデッド・ウイスキーでは「膳」等がありますが、実はスコッチとは異なり、日本の場合はブレンド・ウイスキーがグレン・ウイスキーからの派生ではなく純粋な学術的向上心から行われたものであったため、こうした経緯から「シングルとブレンデッド、どちらが優れているか分からない」という現象が生じてしまいました。そこに海外の方々がブラインド・テイスティングにジャパニーズ・ウイスキーを持ち込み、それがスコッチを凌駕すること数回。ランキングではもやしもんのワイン編と同じ事が起きたのですが、何故かワインとは異なってそれが毀誉褒貶の泥仕合には突入せず、当の日本人も別段、自慢したりは一切しません。実際に、ご存じない方も多いのではないでしょうか? 唯、サントリー社様にてウイスキーを混合する役目を担う「ブレンダー」は本物の生涯職でして、努力と才能、そのどちらがかけてもなることが出来ないほどに厳しく、逆に最高の職人の肩書きとして燦然と輝いております。樹教授が「炊飯器を発明した家電メーカーの米博士は、米粒を見ただけで何処産の米か中ててしまう」と発言したとおり、ウイスキーでも同じ現象が起きているわけです。ホンダ社様のインサイト車体作製職人も「叩いただけで合金の混合率が分かる。火花の色で溶接具合が分かる」という程まで極めてしまう辺り、そういう良い意味で、日本人は「アホ」なんですね。こういうところから考えると、「響30年」レギュラー瓶が毎年十万円で購入することが出来る日本は、実に恵まれているのかも知れません。ちなみに、「響30年」は2007年にIWSC(インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション。こちらは世界レベルで競われるお酒の大会です)にて金賞を受賞しております。本当に余談ですが、地球上に絶対、存在しないとされた「青い薔薇」を誕生させたのもサントリー様の遺伝子チームでして、2004年に英語では「不可能の代名詞」とまでされた800年の園芸史を塗り替える偉業を達成しております。なにやってんだサントリー(←日本ではもはや、褒め言葉ですねコレ)。自然解放すると在来種のバランスを崩す可能性があるため、「青い薔薇」はサントリーの研究所にて厳重に保管されているはずです。そんなサントリーの合い言葉は「やってみなはれ」、絶対に売れないと役員から断固として反対されながらも断行したウイスキーの蒸留に始まり、国産ワインの大規模ワイナリー建設、昭和の不況脱出のために初めてソフトドリンクとして「日本茶」を販売(「お茶なぞ家に帰れば誰でも飲めるから、絶対に買う人間なぞいない」と社内は愚か、経済学者までが大音声で反対したのです。我々は当たり前のようにペットボトルにて数え切れないほどの銘柄から好きなお茶を選んで買っておりますが、実はそれは経済学の本にまで掲載されているような大事件だったのですよ。ちなみに、私は伊藤園様の「お~い、お茶。濃い味」が好きです)。確か、サントリーってあの総資本金額と売上高からは考えられないでしょうが、未上場企業の筈です。その為、株価も未公開だったような……。その理由も、「株価なんぞふらふらするものに左右されて、株主にいちいち研究を阻害されてたまるか」という、実に侠気溢れた理由だったはずです。ですから、サントリー様に出資が出来るのは「サントリー様から信頼された資本家」のみなのです。その為、英国で言うロイズのアンダーテイカーの様な、ある意味の名誉感というものがサントリー様の出資者に共通している点だそうですね。
     以上、お酒に関する無駄話でした。

     以下はもやしもん八巻の個人的な感想です。
     石川先生、メーカーの荷車を引いている馬が輓馬の類って、すんごいセレクトですね……。本物のオクトーバー・フェスもやはり、こういった農耕馬を連れるのでしょうか? ヨーロッパでは石畳も現役ですから、早掛けする必要もなく脚の細いサラブレッドなんて、確かに必要ないですしね。ああ、確かに荷駄を牽かせるなら輓馬以外に考えられませんね、納得。
     しかし、はなちゃん可愛いですなぁ……。個人的にはちょこんと座っていた初登場時のスーツ姿が一番、好きです。加納ファームのツナギが一番、似合わなかった点が個人的に微笑を誘いました。加納はな27歳、もやしもんのこれまで登場したキャラの中で、一番可愛くて好きですぞ! ……神裂火織18歳とどことなく似通った響きですねぇ。方向性まで……。
     フランス女は扱いにくい事で下手をすると世界一、有名ですが、沢木はきっとマリーと結ばれるのが幸せじゃないかなーと。ブルゴーニュ・ワイナリーの一人娘ともやし屋の次男の婚礼。此程、世界的にカオスな結婚もありますまい。しかも「マリー」、つまりは、はなちゃんがドイツで「ハンナ」となるように、マリーはフランスで聖母マリア様の事ですね(確か)。
     ていうか広島、呉、呉ビール株式会社様! 日章旗ってビール・ラベルに貼り付けて良いんですか!?

    コメント by Mya — 2009/8/14 金曜日 @ 1:21:08

  3.  スイマセン、上のコメントで「日本最古である証明の品「山崎35年」が競売の形で売りに出され、ボトル辺り百万くらいした記憶がありますね……」と記載しましたが、この事実が私の誤認であったことを、此処に深く訂正させていただきます。サントリー様の「山崎」で最古の品であり、価格固定で百万円にて売り出され完売したのは「山崎50年」でした……。実に申し訳ないです。

    (ああ、他の文章にかまをかけてるうちに最新号のイブニングが出てしまいました! 以下は一応、イブニング前号に対するコメントです!)

     以前、「ラストイニング×ザワさん」コラボレーションで、「ザワさんの胸のカップがD?」疑惑が立ったとお伝えしましたが、今週号のビッグコミック・スピリッツにて、正式にザワさんの胸のカップがDであることが確定しました! お兄さん、妹の擁護の仕方が渋い……! 一方のラストイニングは県大会決勝戦にて宿敵聖母に対して「フォークをスクイズする」という鬼門を踏んで同点に持ち込みました。
     ……持ち込んだはいいんですが、これでもまだ同点でイーブン、勝負はこれからですよと意気込む生母桐生監督に対して、彩学鳩ヶ谷監督自身は「……もう仕込んだネタ全部、使っちまったしなー……」と割と弱気!? 負けるな彩学ー!

     今号(正確には前号)のイブニングを見て吃驚! 少なくとも、今後の「もやしもん」にてマリーが出演することはないだろうなぁと思って、敢えて上のコメントにて「沢木はマリーとくっつくのが良いかも」という発言をしたのですが、作中の冬にてマリーが再び、出演することを暴露! しかも沢木、実は「もやしもん7巻」で金城さんの再登場に滅茶苦茶、吃驚したわけですが、金城さんに自分で電話かけてるし! マリーが物語に絡むということは、金城さんも同様に絡むとして考えた方が良さそうで、そうして、今号のように螢のポジションは完璧にに確定しましたねw 白ゴス発言の時の反応といい、石川先生、とことん読者を楽しませてくれます! 沢木も本気ですんなりと螢の変容を受け入れてますし、沢木と螢はラブラブですなー。
     ちなみに、今週号イブニングのもやしもん柱で「ゴーレム(純血のマリア)か?」と書かれていますが、ゴーレムは正確にはユダヤの教えに出てくる自動石像ですから、魔女のマリアが使役するのは整合性が合わないと思いますぞ、担当編集様。
     しかし、マリーには長谷川さんが渡仏するのではなく、マリーの方から来日して戴きたいですなー。是非、彼女には日本酒を楽しんでいってもらいたいです。そして螢と丁々発止やってもらいたいですw(そっちが本当の目的) きっと金城さんは、まだ沢木に絡んでいないから落ち着いてみていられるんですよ!

     以下は最新号のもやしもん第99話に対するみゃ語りです。長谷川さんと樹教授の語りについて少し補足しておこうと思います。お茶とか農家ですとか当時の地勢ですとか、多岐に亘る補足ですが、とんでもなく長文になってしまったので普段通り、ご興味のない方はスルーしてくだされー。しかも、歴史による地勢に触れているため、文章がかなり辛辣になってしまいました。ご興味のない方は本気でスルーの方向に。
     では、いつも通りの樹語りです。

    (以下から語りです)
     上のコメントにも記したことですが、イブニング今週号のもやしもんでお茶の話が掲載されていて吃驚。烏龍茶が半発酵茶なのは知っていましたが、欧州に輸入されていたのが実は烏龍茶だったという事実は知りませんでした。へー、という感じです。発酵したお茶は、当時の大陸では二流、三流扱いだったんですねぇ。
     石川先生も描かれているとおり、日本の緑茶は全て無発酵茶です。茶道用の茶葉は確かに、茶壺に紙で封をして、中で一年ほど寝かせもしますが、これはお酒でいうところの「火入れ」と同等の行為をして発酵を止めてしまいまっていますから、無発酵のままなんですね。寝かせる目的は、はなちゃんがビール編で発言していた「ベルギービールは寝かせることで発酵が進み、味が変わる」ような熟成発行を目的としているわけではなく、純粋に味と香りの安定のためです。
     で、「日本茶」の表にある「蒸して緑茶にする(日本茶)」の「玉露」ですが、実は現在の「玉露」と書かれているお茶は、特許庁に認定された「特定名称」なのでご注意を。これは玉露のイメージを壊さないように、味と品質の高水準化を狙ったもので、「玉露」を名乗るためには、玉露と呼ばれる事が多々ある茶葉を用いても、一定水準の栽培法や味を保っていなければなりません。
     これもよく誤解されるので一応、明記しておきますが、「玉露は茶葉の種類を示す名称ではありません」ので注意してください。先述の通り「玉露」は茶葉と製法と味をきちんと保った商品が名乗ることの出来る「特定名称」です。ぶっちゃけ、「蒸して緑茶にする(日本茶)」の表からしますと、玉露は種類としましては「煎茶」に分類されるものです。日本茶というと殆ど例外なくお店では「緑茶」というような書かれ方をされておりますが、茶の樹の種類は滅茶苦茶、多いので用心をば。樹先生は「日本茶・中国茶・紅茶というのは同一の植物カメリア・シネンシスでつくられるものだ」と発言していますが、やはり味が良い茶葉を生やす茶の樹というものも存在するため、「それとこれとは話が別」という感じで、特定名称がついた樹から取れた茶は特定の特徴を持った味があり、翻ってそれが「茶の種類」に繋がるわけです。これは国によって扱いが異なりますが、我が国の場合はこれを管轄するのは農林水産省。茶の樹の種類は「やぶきた」や「かなやみどり」「くらさわ」などが(産出量としては「やぶきた」が多いようですね)、「農林水産省登録品種」として販売されていますが、これが文字通り「滅茶苦茶」多いのですよ。幸い、日本では採れた樹によって茶を特定の名称で呼ぶ習慣が無いため、紅茶のように名称がずら~っと並ぶことはありませんが、茶畑の農家さんはそういうわけには参りません。良い茶を作る茶農家さんには、生半可な勉強ではなれませんのですよ。「そんなことがここまでくどくど書くほど重要なの?」とおっしゃるかも知れませんが、前述の通り「茶はまず第一に、発酵の度合いで分けられる」ため、ストレートに分かりやすくいってしまうと「日本茶の樹で採れた茶葉から紅茶(完全発酵)や烏龍茶(半発酵)を作ることも可能」なのです。が、やはりそれぞれの茶に適した専用種には、味も香りも色も、とても太刀打ちできないでしょうね。大分すると、茶の樹は「中国種」と「アッサム種」に分けられるようで、日本のように低木の樹は「中国種」(但し、日本にも九州や四国に在来種があり)。背の高い樹が「アッサム種」で、樹教授が語ったようにインドの地にてイギリス人が発見し、持ち帰ったのがこれです。
     では「玉露」の発祥は? と申しますと、江戸期に茶商、山本山が、宇治茶で有名な宇治にて作製したものが初です。では「玉露は宇治茶なのか?」と問われるとこれも間違いで、「宇治茶」は基本的に、宇治で作られた茶葉の全体を指す言葉ですが、現代ではこれも更に細かく画定されており、これまた特許庁にて「地域団体商標」、所謂、地域ブランドとして認定されております。が、基本的には「宇治で作られた茶葉」が「宇治茶」です。ちなみに、私がこれまで見た茶葉の中で最高値の付けたのが、九弁菊紋の入った皇室印の玉露で、50gで五千円、つまりはグラム一万円です。今上天皇御成婚50周年記念の御所特別解放に参拝した際、売りに出されておりました。一体、誰が買うんでしょうね?
     ここから分かるとおり、「玉露は製法」、「宇治茶は産地」なのです。「和牛という名はブランドで、決して日本産の牛肉を指すわけではない」点と全く同様で、「低農薬野菜」を名乗るために特定の条件を満たさなければならないのと同じと考えていただければ、解りがよいかと思います。
     ちなみに、日本の二大茶といえば宇治の「宇治茶」と、静岡の「静岡茶」を指します(ここに埼玉の「狭山茶」を加える場合もありますが、全国的に見ると、他の二銘柄に対して狭山茶は若干、耳に覚えが薄いですね。一方で「宇治茶なぞ高いだけだ」という意見も、生産量の少なさから尤もという感じがあります。京都のお茶の生産量は決して低くないのですが、宇治茶は京の中の更に一部ですからね。県の静岡に対して、市の宇治では太刀打ちのしようがありません)。特に静岡は茶の生産量が日本一で、東海道新幹線をご利用なされたことがある方は覚えがあるかと存じますが、静岡に入って偶に、まるっとした腰ほどまでの真ん丸な常緑樹が一列に並んで縦隊を作製している長い緑地を長時間、横切る事があります。実はあれが茶の木で、あの一帯全てが茶畑です。茶葉は毎年、茶の木から伸びた新芽を摘むので、大きい畑ですと機械化がかなり進んでいるのであのような形になるのですよ。新芽を悉く摘んでしまうので樹が余り大きくならず(更にその上、剪定をしますので、より小さくなります)、従って一度、機械を導入すると、後に必要なのはランニングコストだけで、スケール・メリットさえあれば簡単に原価が回収できてしまう点が特徴です。が、樹が大きくならない=新芽を全て摘んでしまうという点が弱点でもあり、更に茶の樹が窒素分を好むことも影響し、大規模化に伴って多量の化学肥料を用いる問題から、実は「茶から多量の硝酸態窒素が摘出される」ことが近年、問題視されております。これが「デリケートな扱いをしなければならない玉露の作製」に最も影響を及ぼし、収量を上げ、かつ安定した収穫量を保つために化学肥料と農薬を多量に使用した結果として、玉露に農薬と硝酸態窒素の問題が最も危険視されているわけなのですが、茶葉を湯に浸して飲む茶の方が硝酸態窒素の危険性は遥かに高いにも関わらず、何故か野菜ほどに茶は問題視されておりません。土壌汚染や水質汚染にも繋がっており、茶の世界でも有機栽培法が注目されている昨今ですが、我が国では既に肥料の生産手法が農協によって撲滅されてしまったので、まともな有機肥料が手に入らない現状が一部、専門家の間で問題視されております。
     良く誤解している方がおられるのですが、有機肥料はきちんと発酵させて、然るべき手段によってきちんと「肥料」という形に変えられなければなりません。人糞や鶏糞をそのまま撒けばよいと思っていらっしゃる方がおられるかも知れませんが、あれも土壌菌などできちんと分解された後に養分となるので、極端な例を出しますと「生ゴミを庭に植えても、分解されなければ唯のゴミ」なわけです。堆肥を自家生産していらっしゃるご家庭で育った方はお解りになるかと思われますが、あれも実は肥料の生産も野菜の生産と並ぶほどに凝縮されたノウハウの固まりです。

     話が出たついでに有機肥料栽培について少しだけ触れておきますが、現在の我が国で農業を営んでいる「農家」は「農業収入だけで生活している人間は1%未満」で、あくまで「農業は副次的産業としてしか扱っていない」農家がほぼ全てを占め、そういう意味では「本当の農家はいない」状況です。「農業の高齢化」が声高に叫ばれておりますが、「何故、農家が高齢化しているのか」を考えると実に簡単なことで、単純に「年金という形の収入補助がなければ食べていけない」わけです。裏を返せばこれは、取りも直さず「農業は農業収入だけでは食べていけない」ことの証明となり、これが農業の高齢化に輪をかけているわけで、自業自得といいますか、「農業は老後にとっておけ」という事になります。というか、そういう産業形態なのだと、私は理解していますね。退職して後も余生が20年もある世の中ですから、うち10年くらいは希望者に農業指導と土地の貸し出しを奨励すれば、農業後継者の問題は問題ではないのではないか、というのが現在の私の結論です(当然、新しい情報や現状が変われば、意見も変わってきますので)。寧ろ、より危ないのは林業と漁業なんですがねぇ……。
     農業が危ないのは寧ろ、流通を含めたシステム的な問題でして、現状、真の意味での農家はほぼいないと申したばかりですが、こちらの意味でも「真の意味での農家はほぼいない」のが現実です。これが所謂「農協の弊害」でして、現代農家は実は、苗や種の仕入れ、肥料の購入、出荷基準や流通販路の策定といった「作物を育てる以外の全てを農協に依存している」為、「作物を育てる以外に何も技術がない」事が多いのです。ですから上記の肥料の問題も「唯、農協から宛がわれている肥料を使用しているだけ」であるため、「農協の肥料に問題があっても農家は何も対処できない」事になるのです。要は完全な政府による寡占状態なのですが、これが戦後の農協発足以来、一貫して続いてしまったため、農家が総白痴になってしまったのです。終戦直後は深刻な食糧危機に直面していたため、農業の効率化を促進させる「農協」が役に立ったわけですが、ここに至っては「農業の国政化」でしか無く、真に農学の方面から見ても農業の蓄積知識が国策によって破壊されてしまった状態があります。戦後のGHQによる農地改革もそれに拍車をかけ、「肥料に人糞を用いるなんて不潔極まりない!」とGHQとマッチポンプである米国が、自国の「化学肥料」を現在に至るまで問答無用で売り付けた結果、土壌破壊などの弊害を産んでしまいました。実は人糞から作製する堆肥も「きちんと発酵によって分解殺菌するので、別に不潔でも何でもない」のですが、人糞を堆肥に変える手法は、有機肥料の作成方法でも群を抜いて難しいのですね(人間は完全な雑食なので、その排泄物を完璧に肥料に変えようと思うと、恐ろしいほどの技術が必要なのです)。そんなわけで専ら有機肥料としては「牛糞」「豚糞」「鶏糞」が用いられるのですが、上記の通り「既に有機肥料の作製手法は失われている」のは農協も等しく、農協が支給する有機肥料も実は「発酵が不完全で糞が堆肥化されていない不完全な堆肥」が少なくないのです。つまりは「糞が肥料ではなく糞として残っている」有機肥料が少なくなく、衛生上から使用するにあたって危険な有機肥料も多いわけです。ホームセンターなどに行くと希に、植木のコーナーで異様な悪臭を嗅いだ経験がある方がおられるかも知れませんが、あれが不完全な有機肥料の証で、きちんとした有機肥料は普通、きちんと熱で殺菌と分解が済んでいるため、殆ど臭いません。更に、有機肥料の材料となる「牛糞」「豚糞」「鶏糞」にも問題があり、今の市場に出回っている食用牛、食用豚、食用鶏の飼育農場を一度でも見学していただけると分かるのですが、まぁ、「農場というよりは工場」という感じです。放牧は土地を取るので完全に身動きが取れない形で家畜を拘束。陽の光を浴びさせるとエネルギーを多く使うということで、日夜が分からない状態に工場内を保たせる。自動的かつ定期的に餌を食べさせるため、家畜の食欲も無視。そんな状態で病気に罹られると集団感染を起こすので、餌には抗生物質が添加済み。そんな状態で育てられる家畜に上等な飼料が与えられるわけが無く、当然ながらに餌には農薬てんこ盛り。
     こんな状態の家畜の排泄物が有機肥料の材料として用いられているわけですから、出来上がる有機肥料も抗生物質や農薬で万々歳に汚染されているわけですよ。ですから、そんな有機肥料で作られた農作物が安全なわけがないのです。ここが落とし穴でして、農林水産省は有機栽培された野菜をJAS法で認定し、有機栽培の証明として各証明機関から認定基準に達した出荷野菜に「有機JASマーク」を印刷するのですが、実はこの認定基準に「残留農薬に対する検定がない」のです。当然ながら、証明機関も政府関連の行政組織ですから(独立行政法人なども含みます)、勘繰ると実は知っていながら行動していないのではないかと疑いたくなるわけですよ。各農家も「有機JASマークが発行されるだけで付加価値が上がる」と判断しますから、「実は有機栽培ではない野菜より毒性が高い可能性もある」野菜でも気にせず出荷してしまいます(そもそも、気付いていない可能性が高いです)。お解り頂けたかと思いますが、我が国の市場に出回っている野菜で有機栽培を謳っている商品は、同時に一昔前の「減農薬栽培」や「無農薬栽培」(現在は法が変わって「特別栽培農産物」)のマークも取得していなければ怖くて口に出来ないものが多い可能性も高いのです。が、この二つを同時に取得した野菜は当然ながら、極めて高価なのですよ。そもそもが安全性すら無視して収量のみに注目した「短期的に極めて効率的で、長期的に極めて非効率的な肥料」が化学肥料なのですから、化学肥料を使わなければ収量が落ちるに決まっているのです。当然ながら、有機農法によって作られた農作物の外見は、慣例農法に劣る場合が多いのですが、消費者も有機栽培というと「何となく良いイメージ」という曖昧なモノがついて回りそれ以上に確固たる想像を持たないので、そこから「見た目が悪いと有機栽培と書かれていても倦厭してしまう」傾向があるのも事実です。代表例として人参と菠薐草を挙げますが、「丸々赤々とした人参」や「青々広々とした菠薐草」は基本的に、慣行栽培品であることが通常で、逆に「見た目の福々しさに反して栄養価が低い」のも一つの特徴です。言い換えれば「量が増えて質が下がっている」のが日本の野菜事情でして、それでもより量の多い方、より食べやすい方を選ぶのが当たり前になってしまい、栄養価が下がっても誰も文句を言わなくなってしまったわけです。「野菜は美味しい!」等とよくキャンペーンを打っていることもありますが、むしろ実状は逆で「口に合わない野菜が市場から淘汰された」感じなのですね。私からすれば「野菜の全てが人間の口に合う味であるわけがない」とも思うのですが、最近は「不味い野菜を倦厭し、味の方を自分に合わせる」方向が主体です。「口に合わなくても食べる」精神が重要なのですがねぇ……。大地の恵みに感謝しない方がどうやら多いようで、その為、栄養価が下がってでも食べやすい野菜が売られるようになるのですが、その現象を「価値的に野菜が下がっている」と思っている人間は、まだそこまで多くないようです。さて、その野菜品種の改良(改悪?)や販売を手がけているのも誰かと申しますれば……、というわけですよ。栄養補完食が出来たとて、人間が果たして何を食せばよく生きるかなぞ完全に解明されておりませんし、されることもないと願っています。逆に完璧な栄養食が工業的に生産できるようになれば、現在のように多数の農産物を作付けする必要がなくなるため、一つの文明開化に相当しますからね。一種のSF現象です。
     先に触れた農業の高齢化問題にももう少し触れておきますが、現在の農家はほぼドロップアウト世代が主体です。定年退職後に農業を営まれている方は通例として「趣味」であることが多いため、「収入を得る以上に農業を続けること」の方を重要視します。これは趣味であるために当然のことなのですが、それが商品として出荷されてしまう農業で行われますと、現象としては「年金で老後収入が保証されているため、採算度外視で副次的収入を得る事すら二次的に見てしまう」方向になり、設備投資もがっぽがっぽ度外視できるものですから、出荷する商品の質方面で職業農家が太刀打ちできないような現状が生まれてしまいます。最終的な農業収入が年収に換算して百万円でも、年金世代は全く困らないわけです。しかも、これまでのように集落やせめて家単位ですら技術が継承されなくなりますので、何処かで技術保持団体を立ち上げる必要が出てきます。
     さて、一方で農業の高コスト化は実は世界的な兆候でして、日本はカロリーベースの食物自給率が40%しかありませんが、では100%の自給率を達成するために必要な耕地面積から日本の人口を逆算しますと、大凡、3千万人くらいが妥当な数字としてあげられます。この根拠は「明治元年の人口」ですが、明治元年はつまり、明治憲法が施行され明治政府が樹立した年です。ここで最も重要なのは「開国した年」でもあるという点です。裏返せば「それまでは100%の自給自足体制で日本経済が回っていた」事の証明で、これには当然ながら食料も含まれます。当時は栄養学などというものもは概念すらありませんでしたから、生産される食料はカロリーを賄う主食のみが殆どなのですが、それでも人口は明治初年で3千4百万人強。日本人の平均寿命は最古の資料として厚生労働省が管理している0歳児の平均余命(0歳の子供があと何年、生きられるかが「0歳児の平均余命」です)から索引しますが、明治24年から明治31年までの統計で男性が42.8歳、女性が44.3歳となります。
     つまり、農業の究極は「平均寿命を下げることなく、日本の国土に占める食料生産能力だけで国を維持できる状態」が食糧自給率100%の最も理想的な状態、ということになります。当然ながら、ここには発達した医療技術における延命分が含まれてはいませんが、個人的には日本の耕作可能面積で食糧自給率100%の理想を目指した場合、最終的には明治期の平均寿命まで下がる気がします。というのも、医療技術水準によって乳幼児死亡率は確かに低くなるでしょうが、その辺りまで口にし出すと「では総人口3千4百万人強で現在の経済水準が維持できるか」と問われる為に否となりますので、産業規模も経済水準も一気に衰退しますから、必然的に生活水準も低下してしまいます。経済が衰退すれば税収もなくなり、国民保険制度は破綻しますから先端医療など受けられる余裕は全くなくなり、ガスも電気も水道も維持できなくなり、結局、最終的には文明水準も明治開国の頃まで戻ってしまうのですよ。文明が最低限、保たれるための必要条件は「安心して飲める水が何処でも安く手にはいること」と「安価で供給の安定した電気が引かれていること」の二点であると私は考えています。経済が縮小すればそれに依存する公共サービスの質も低下し、最終的にはカリフォルニアのように上下水道も発電所も停止するでしょうから、文明は破壊され、それ以前の文化のレベルまで戻ります。ですが、これを問い詰める意味は農業問題の一点に絞れば皆無なので、とすれば最も問われるべきは「耕作面積単位の食物生産効率」のみで、農作物の平均収穫量から現在の食物消費量を計算し、単純にその割合から人口を算出すればよいわけです(勿論、各農作物の作付け面積もそういう状況になれば変わってくるのでしょうが、人間の生活行動まで予測しろといわれても無理な話ですので、必ず何処かで仮定を入れざるを得なくなるわけです)。
     結論としましては、日本の国土で現総人口の1億3千万人を養うだけの食料を生産することは無理、ということです。どうやっても「現実に無理」なら対処のしようがないわけで……。フランスのように国土の多くが平地を占め、地質が農耕に向いている国ですら食物自給率は70%、それも完全に税金漬けです。となると、現実問題として「生産拠点を移すしかない」となるわけです。それも現在の工業品を出荷する工場のように単純なコストの問題ではなく、相当に逼迫した「どうにもならない」故の回避策です。ですから自然と国内の農地は、高付加価値の商品や農業実験場を作るのみの研究拠点としての機能を残し、量産化は余所の国で土地を借りて行うしかないわけで……。こういうと「日本の安全保障上、それは問題がある!」と一切、反論を受け付けずシャットダウンしてしまう方も多いのですが、「無理なものは無理」なので、「では、人口が現状から1億減りますが良いですか?」と決断をお願いすることになるのですが、人口の減少過程できちんと「食料の奪い合いが起きますよ?」とお断りしておかなければなりません。現行の農家を維持していこうと思うと、どうしても税金漬けになってしまうのです。それでも勿論、廃業数は止まらないので更に税金を投入するという悪循環が生まれることになります。

     以上、何故か肥料の問題から農業全般の話までもってきてしまいましたが、浅く触りだけなので許してつかーさい。なんか暗い話になっちゃいましたねー。スイマセン、気合いを入れ直して話を戻します! といいつつも、私は農学研究者ではなく、しかも独自でそういった事項の研究をしているわけでもありませんので、今号から始まった「もやしもん」に期待しましょう! 確かに長谷川研究員が発言したとおり、米の自給率は100%を越えて寧ろ、減反した農家に補助金が出ている始末ですからね(「減反」とは、水田の耕作中止を行った農家に補助金が支払われる国の制度ですが念のため。更に「備蓄米」として余剰生産米を政府が買い取っております。日本の気候ですと、きちんと条件を保てば米は腐らないので絶好の食料なのですが、国民消費量から逆算した備蓄米はおよそ六ヶ月分ですこれも念のため。水田は本格的に農耕放棄すると、元の水田に戻すだけでも相当の月日が必要となりますが、さりとて唯、放置しただけですと自然には返らず唯の藪地帯になるだけというどうしようもない現象もあります。これも念のため)。
     えー、お茶が採れる樹は樹教授が仰っているカメリア・シネンシスなんですが、「椿科の低木」で這うような低木となるのは中国種と呼ばれる種類で、インド発で8m~15mの高木になる種類が「アッサム種」です(但し、お茶の樹が大陸原産という生態方面での証明はなされていません。が、文化として発祥したのは間違いなく大陸と断定して良いかと思われます。神話の上では仙人の始祖、神農が口にしたのが初とされていますし、神話に茶を飲料する風習が記されているなら間違いないでしょう。神農は日本でも少彦名神社に祀られております)。お茶の樹は学名が「カメリア・シネンシス」なのですが、生物学的分類で見ますと和名は「カメリア→椿族」「シネンシス→チャノキ種」となります。実にストレート! 「カメリア・オイル」はつまり、日本でいうところの「椿油」ですね。椿油はとても高級品で、行燈の油として用いても香油のように香り高く、天ぷらの油として用いても一品。鬢を結う理髪用の油としても一級。果ては刃物の手入れにまで用いられる優れもので、食物性油の中では最高級の逸品です。これはチャノキからも採取可能ですね。基本的には、椿の実を圧搾して採取しますが、用いられるのは大概が藪椿の実のようです。洋種の牡丹咲きや宝珠咲きで豪華な花を付ける椿が実をつけたところを個人的に見たことがないので、何となく納得です(日本種の侘介椿など、一重か八重の方が多く実をつける傾向にあります。逆に、花が豪華になるほど蕾を付ける事すら難易度が高くなります。園芸種なんぞは花を咲かせるだけでも一苦労:涙)。実を採るだけの目的なら、山々に自生する藪椿を挿し木した方が、確かに安く済むでしょうね。むぅ、うちの黒椿の実から油は採れないものでしょうかね?
     さて、今度は「茶の種類」なんですが、まず、緑茶の中で最も多い手法として用いられる「煎茶」ですが、これは些か単語に誤謬がある気がします。煎茶は茶漉しに溜めた茶葉に湯を通して、開いた茶葉をその湯に浸した上で茶を摘出しますが、煎茶の「煎じる」とは元来、「火に掛けて煮出す」事を意味します。煎じ薬は湯に浸すのではなく煮立てて作るのですが、この表記は果たしてそのままで良いのかなーと思いつつ、特に私に何が出来るわけでもないので放置しています。が、実は日本茶の種類というものは、樹教授が挙げられた表が簡略的ですが、実際にはもっとややこしいです。
     日本茶の全ては無発酵茶であると何度も述べましたが、そこから大分して二通りに分かれます。

    1.茶園に覆いをせず、直射日光を当てて作る茶。
    2.緑茶に覆いをして、直射日光を遮って作る茶。

     このうち、1.の分類が一般的なお茶の部類でして、

    1-A.煎茶…いわずもがな。一般的に飲まれているお茶です。
    1-B.番茶…三番茶、四番茶を主に用い、その葉を蒸してそのまま日干しまる。地位としては下手。「早番のお茶」は煎茶に、「遅番のお茶」を番茶に用います。
    1-C.玉緑茶…蒸さずに釜で炒り、強く揉まずに曲がった形に仕上げた茶。釜で炒った「釜いり製玉緑茶」と、蒸してから釜で炒り、強く揉まずに曲がった形に仕上げた「蒸し製玉緑茶」の二通りがあります。

     番茶の項目にある「三番茶」「四番茶」は、所謂「二番煎じ」とは全く別で、茶の樹から茶葉は年に四回、収穫が出来るのですが、これを初春の「一番茶」から順に「二番茶」「三番茶」「四番茶」と数えていきます。最初に採れるものほど高価で取引されるため、三番茶と四番茶を用いられる番茶は、基本的に下手のものとなるわけです(ですから番茶は「お番です」の語源であるわけですよ)。例外中の例外はインドやパキスタンなどの南アジア圏で飲まれることが多い「チャイ」というお茶です。しかし、最近では大陸のカレー圏を料理として出すお店なら「マサラ・チャイ」等をオーダーに加えているお店もありますから、そこまでは珍しくないものかも知れませんね。
     で、更に1.に手を加えた茶も存在します。

    1α-A.焙じ茶…煎茶などを更に焙じた(「焙じる」とは「加熱して炒る」事で、茶葉を釜などで加熱して炒ったものがこれです)ものですが、煎茶や玉露に比べると下手とされています。が、本当の意味で「煎じる」茶はこの焙じ茶でして、その飲みやすさから老人や子供にも好まれております。茶の色が紅いのも特徴ですね。
    1α-B.玄米茶…番茶(稀に煎茶)を強火で加熱したものと、蒸してから炒って狐色になった玄米や、爆ぜてポップコーン状になった玄米とを、ほぼ同量ずつ混ぜたもの。緑茶、茶の葉を入れるため、一応は日本茶の一種に加えられていますが、やはり下手の茶に属します。番茶の出来よりも玄米の出来の方が茶の質を左右する点が面白いですね。

     に分かれます。
     2.について説明しますと、こちらは高級品揃いですね。日本茶を楽しむ習慣がない人には馴染みのないばかりです。

    2-A.碾茶(てんちゃ)…玉露と同じく収穫前に被覆した茶葉を蒸し、碾茶炉で乾燥して製造します。抹茶はこの碾茶を石臼で粉末状にしたものを指し、その保存用に茶壺が用いられます。
    2-B.玉露…碾茶と同様に栽培され、摘まれた新芽は蒸した後、揉みながら乾燥させます。日本茶の最高峰? 個人的には正直、好みだと思いますけどね。
    2-C.かぶせ茶…玉露と煎茶の中間で、わら・こも・化学繊維などの簡単な覆いを、数日間茶樹にかぶせます。摘まれた新芽は、玉露と同じように製造するのが特徴で、かなりの旨みがあります。

     更に1.と2.の中間の様な橋渡し茶で、精撲加工で玉露、かぶせ茶、煎茶からそれぞれ選別された茶というものも存在します。

    1+2-A.茎茶…煎茶や碾茶といった専用の茶葉を取り除いた後に残る茎を茶用に再利用したもの。味は全般的に割と良いようです。茶柱が立ちまくります。
    (他にも「芽茶」「粉茶」「川柳」がありますが、こちらは割愛させていただきます。専門家ではないので、誤解を招く可能性のある事柄は迂回させていただきます。や、だって茎茶以外は飲んだことも目にしたこともありませんから……:汗)

     他にカメリア・シネンシスの葉が含まれていないので茶の分類には属しませんが、麦茶や雑穀茶といった類もあります。コカコーラの「爽健美茶」は完全な雑穀茶系列で、茶の葉は一応、入っていますが恐らく茶の分類に含まれないでしょう。市販の既製品であるペットボトルのお茶は、基本的に雑穀系、薬草系、そして「ブレンド」である場合が殆どです。茶にもウイスキーと同じく「ブレンダー」が存在するのですね。これは完全に紅茶の資格なのですが、紅茶業界ではきちんとしたブレンダーの資格を持った人が茶葉を混合しないと「ブレンド」を名乗ることが出来ません(ちなみに素人が混ぜた茶葉は「ミックス」です)。個人的には静岡に本拠を置く本格的な茶商、伊藤園の「お~い お茶 濃い味」が好みですが、これは珍しく単独茶葉です。大概の方が「苦い!」と仰いますが、好きなものは好きなのですからしょうがないですな。茶にもやはり、個人的な好みは存在すると思います。正直、私は九弁菊入りの皇室印なぞグラム1万円するのですが、とても買う気になりません。が、そこは個人の価値観と相談し合わなければなりませんね。樹教授が仰っていたように、大陸では茶をペースト状にして金と等価というくらいの高価格で取引されており、固めたお茶が「賄賂の代名詞」とまでなった時代もあります。
     日本茶は我が国で茶道というものが生まれたため、美味しい淹れ方というものが徹底的に研究されております。更に、日本の水はミネラル分が少ない軟水であるため茶の葉と相性が良く、良い水が方々で採取できることも幸いして茶の文化が大いに隆盛しました。長谷川研究員が「ヨーロッパとしてはビールと同じく、真水を飲むより安全でしかも酩酊しない茶を凄く欲しがってた」と発言していますが、これは欧州だけに限らず世界全体の共通話題です。我が国は上水道の世帯普及率が恐ろしいほどに高いので、現代の方々は完全に忘れてしまっているかと思われますが、明治大正期では日本も例外なく生水を飲用しており、ここから夏場は大量の人間が赤痢やコレラに罹患しております。生水を飲用して赤痢やコレラを罹患するのは日本だけでなく、温帯以南の殆ど全ての地域で存在する頭痛の種です。「そんなもの、沸かしゃーいいじゃん」と簡単に思われるかも知れませんが、「菌類の発見がここ1、2世紀前のお話」なので、「煮沸消毒」という概念がそもそも無いのですよ。ですから、「湯を沸かすこと=安全な飲料水を作ること」という発想が当時には存在せず、「茶を飲むと安全だ!」という経験則が長らく世間を支配していたわけです。我が国でも室町末から戦が頻発していた時代がありましたが、傷の消毒には馬などの煮沸した水ではなく取り置きの小便が用いられました(尿素が時間を経てアンモニアになるので理論上は一応、出来るはずですが、現代では時間の経過した尿には雑菌が大量に繁殖しているために使用してはならないとされていますね。裏を返せば、排尿間もない尿は「腎臓で濾過された無菌状態の水分」なので、煮沸消毒用の火をおこせない状況で使用しても安全性は高いです)。こういう観点からしますと、実は日本の「白湯」は大発見なのですね。
     ついでに触れておきますが、後進国の貧困国は「一杯の湯を沸かすだけの燃料が一日の生活費に相当する」為、湯を沸かしたくとも沸かせないという問題があります。「安全な水が蛇口を捻れば常時、飲み放題」というのは相当に奇跡的な出来事です。欧州の水も硬度が高いため水中りをする方がかなり多く、「誰でも飲用できる真水は高級品」です。だからこそ水より酒が飲まれるのですが、酒を多く飲んでもアルコールの分解に肝臓を多用してしまうため、飲んだ量ほど水分は体内に吸収できません。しかも飲み過ぎると長谷川研究員が発言したとおり酩酊してしまうので、以上の点から茶は実に高級品であったわけです。
     さて、茶というものを他の国で見てみると、やはり東南アジア系が最も好む様子で、例えばジャワ島には日本でも有名なジャワ・ティーがあります(あれは「ジャワティー」という名称なのではなく、単純にジャワのお茶という意味です)。大陸でもお茶は方々で飲まれておりますが、方々でどうして嗜好品であるはずのお茶が流行ったのかといいますと、北方のモンゴル系遊牧民や南方のヒマラヤ山系麓など、例えば高所に住まう方々は、その居住している標高故にビタミンの補給という観点でとても優れた茶が求められたためです。茶の樹の栽培限界高度は標高千五百m程なので、自分の国ではとても栽培が出来ず、更に高所は低地にいるより、より多くのビタミンと水分を消耗するため、その両方を同時に補給できて更に暖までとれる茶は願ったり叶ったりだったわけですね。寒くて降水量も少ない高地で収穫が望めるのは、精々が馬鈴薯くらいなので、茶に塩とバターを溶かす「酪茶(バター茶)」はこのそういった需要に応えるべく、山地から生まれました。チベットのラサ、ネパールのカトマンドゥなんかは首都にも関わらず標高が5千mもあるため、かなりそういった問題は深刻なのですよ。日本のように「茶葉を蒸して無発酵状態で止める」手法は割と珍しく、実際に普段、自分たちが口にしているお茶が一度、蒸されているという事実をご存じない方も多いのではないでしょうか。静岡なんかは最大のお茶生産県なので、個人の商店が生産から小売りまで一貫して行っている事は余りないのですが、伊勢茶で有名な三重県なんかですと、少し奥に入っただけで軒から茶葉を蒸す良い香りが漂ってくるお店も多くあります。焙じ茶を作る機械も昔は手回し式でしたが、今は自動でごろごろ回ります。これも良い香りがしますよ。
     茶の輸出で世界一なのは中華人民共和国ですが、インドやセイロン島(現スリランカ。いつの間に独立したんだ? という感じでした。今までずっと「セイロン島」と呼んでいてスミマセンです、スリランカ在住の皆様)もとても有名で、多量の茶葉を輸出しています。が、インド茶、セイロン茶は前記の通り「アッサム種」なので、部類としては紅茶に近い味わいがあります。ですから、私などはストレートで飲むと何ともなく、昔は違和感がありました(薄く淹れたものなら最近、平気になりましたけどね)。
     対して大陸茶は日本と同じ部類ですから、実に違和感なく飲めます。「鉄観音(確か台湾製だったと思います。現在では「台湾茶」というものも存在します)」などを飲んだ感想としましては、下手をすれば大陸茶の方が遥かに上です。特に香りが高くて吃驚。
     この中で実に面白いのがインドを中心に飲まれているチャイ(ヒンドゥー語で「茶」の意味)です。ムガール帝国が滅ぼされてから後のインドは長らく大英帝国の植民地であったため、白人の植民地政策というものはスルタンのように立身出世が一切望めず、搾取と商品の押し付けが対象となるため、入植地の住民は長年に渡って辛酸を舐めさせられてきました。大英帝国支配下のインドも例外ではなく、売り物になる主力製品は基本的に貿易対象となり、現地人がこれを口にすることはまずありません。となると回ってくるのは三流の商品にならないような粗茶です。これをインドの方は実に様々な工夫を凝らして美味しく淹れる方法を編み出しました。
     何が面白いかというと、このインド式のチャイの淹れ方で高級な茶葉を用いると、これが美味しくないらしいのですよ。詳しくはチャイについて調べていただければすぐに出てくるので言及いたしませんが、ほほぅという感じですね。但し、茶を飲む文化自体はどうやら欧州人によってもたらされたようなので、痛し痒しという感じでしょうか。今でもインドや、そこから独立したパキスタンには滅んでしまった英国式の茶の飲み方が残っている地域もあるという噂です(例えば、カップにソーサーが付いてくるのは「カップから溢れた茶を受けるため」ではなく「カップの茶をソーサーに移して冷ますため」です。ですから、実は古来の英国式は「ソーサーから飲む」方が正解だったりします。冗談のようですが本当ですよ。日本は天目台から生じた茶托のの影響からか受け皿はあくまで椀の添えと認識されていますが、西欧ではそうではなかったのです)。
     ここで長谷川研究員が発言している海洋貿易の手法について触れますが、あの発言は時系列をずばっと短縮してしまっているので、僅か1世紀ほどの間で時代の主役がころりと変わってしまうため、ややもすると少し誤解を与えるような所があります。「もやしもん」は菌と発酵と農学の漫画なので、そこまで歴史に対する歴史に注視する必要は全くないのですけれどね。興味を持った読者が独自で調べれば良いお話ですから。食料品自給率の話題は私も大変、気になっておるところですので、大いにやって下さいませ。
     えー、スペインやポルトガルが貿易を一手に担ってきた時代は、軍隊が現地軍を圧倒するだけの力が無く、植民地といっても精々が貿易拠点としての租界の様な土地を租借する程度だったのですが、時代が過ぎてスペイン、ポルトガルが斜陽の時代にはいると、今度は大英帝国(「イングランド」はこの時代の英国を指します。現在の「UK」は厳密にいえば「イングランド」ではないので注意が必要です。現にイングランド人をして「イングリッシュ」と称してしまうと、訳が分からなくなりますよね? では現在の英国の正式名称は? と問われると和訳では「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」という長ったらしい名前を列記しなければなりません。グレートブリテン島だけでは最後の「北アイルランド」が含まれないので、正式国号として間違っているわけです。で、この正式国号の英名が「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」でして、略して「UK」となるわけですが、国としてはウェールズもスコットランドも元々は別であったため、彼らを一概に「British」と称すると怒られることもあります。普通、英国に旅行をしてもビッグベンですとかシティですとかに集中して、湖水地方とかは余り行きませんよね? そんなものですから更にもっと民族アイデンティティが異なる旧教系の北アイルランドの方を「イギリス人」と呼ばわってしまうと、下手をするとそれだけで殺されかねない為、かなり気を遣わなければなりません。が、そんなこといって北アイルランドの方を「アイルランド人」と称すると、今度は新教系の北アイルランドの方にどやされますので、どうしたものやら。一応は統治権は英国にあることに間違いはないのですが……。ややこしー。この件についての詳細は北アイルランド問題を参照してください)やフランス、オランダなどが台頭して本格的な植民地政策がとられることになります。前者がマゼランといった大航海時代の人間が主な担い手ですね。大航海時代です。この時代は船乗りの腕がもろに影響した時代でして、当時は希望岬を経てインド洋に向かう、所謂「東回り」と呼ばれる海洋交易ルートを築いたのがポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマ。但し、海洋貿易は船上で何泊もしなければならないため、当然ながら補給基地が必要となるわけです。これが「租界のような土地」にあたるわけですが、当時はあくまで「貿易のための中継基地」以上の機能を求めなかったため、港は置かれてもその国の土地全てを支配下に納めるような事はしなかったのです。東回りの航路はポルトガルが中継基地の権益を独占していたため、スペインはマゼランに西回りの航路を発見してもらい(彼は元々、ポルトガル人です)、太平洋横断の「西回り」と呼ばれる海洋交易ルートを築きました。と同時に、彼は地球で初の世界一周を成し遂げた人間になります。当時は科学ではなく信仰が思考の中心を占めており、世界は平面で地の果てまで行くと奈落に続く崖があるですとか、世界の円をはみ出ると沸騰した海水に煮られるですとか、今となっての神話がまことしやかに信じられていた時代にこんな無鉄砲なことをしでかすのは、探求心と私欲に旺盛な白人種ならではでしょう。
     この後に百年戦争を終結したイングランドが宗教革命などを経て強固な国へと変貌し(エリザベス1世が即位した時期と時を同じくします)、本格的に海洋貿易に参戦してきます。スペインとポルトガルはこの時代、ポルトガルがスペイン王をポルトガル国王に招き、両国はほぼ併合状態にあったため、海路も西回り、東回りを独占していました。長谷川研究員は「紅茶をヨーロッパに輸入していたのは主にポルトガル、その下にオランダがいたの」と発言していますが、この当時にオランダは国としての体をなしておらずスペインの支配下にあり、「ネーデルランド(英語で「低い土地」の意)」の独立までもう少し後まで待たなければなりませんでした。ドイツもまだ当時は国体としては無いです。
     但し、アフリカ大陸に拠点を作っていたポルトガルは当然ながら黒人の奴隷貿易には手を染めており、白人種三大罪悪と呼ばれるうちの一つである「黒人奴隷貿易」はこの頃から始まります。その当時は「黒人は人ではなく動物」として誣いられていたので、奴隷として非人道的な扱いをしても罪の意識は欠片もないわけです。ここで附記しなければならないことは、ほんの極一部の黒人特権階級もこれに同調して黒人狩りに加わったことでしょう。大金の動くところに必ず極一部の特権階級が存在し、例え99.9%の人間に損をさせてでも0.1%の人間が莫大な得をするのは、これはもはや世の常ですね。他者を貶めることによって得る儲けなど、何か意味があるのかと日本人の感覚では疑ってしまうのですが……。ちなみに、白人種三大罪悪のあと二つは確か「先住民虐殺による土地の強奪」と「極悪植民地支配政策」の三点だったはずです。北アメリカ大陸にメイフラワー号でやってきた連中がアメリカ原住民に対して何をしたかは周知の事実で、アメリカ先住民の主食であるアメリカ・バイソンを食すためだけではなく、唯、毛皮が欲しいだけで狩り尽くしてしまったのは決して拭い去ることの出来ぬ大罪ですね。皮を剥ぎ取られたアメリカ・バイソンは、肉を取られることなくそのまま放置されたのですから、自然への許されることのない冒涜です。アメリカ先住民が入植者と戦って敗北を喫した一因は、食料であるアメリカ・バイソンを狩り尽くされてしまった面もあるとまでいわれるほど、この当時のアメリカ・バイソンへの乱獲は執拗を極めました。で、アメリカ先住民を駆逐して、諸君ら先住民の平和を脅かすことはないと何度も条約に調印しておきながら、何処かで鉱山が見つかる度に条約を破棄して堂々と入植しだしたのが、アメリゴ・ベスプッチの発見した新天地に乗り込んできたメイフラワー号の乗員である新教徒だったのです。ですから、現アメリカ合衆国の多くが新教に属し、新教勢力はアメリカ大統領選挙に多大な影響力を持っています。唯、その為には彼らの主張する「人工授精の禁止」「堕胎中絶の禁止」「避妊の禁止」「エイズ患者への差別(同性愛の禁止に絡むものです)」「同性愛の禁止」、最近では「ES細胞への研究の反対」など、宗教的な条件を呑むことが必須で、日本でいえば、んなことにいちいち目くじら立てんでも、となるのですが、最近、アメリカの中絶推進派医師がテロで殺害された事は記憶に新しいです。彼らにとってはそれくらい、上に挙げた事項は許容できぬことの様子です。更に旧教は「絶対的な離婚の禁止」「女性の再婚を認めない」「財産相続権は常に嫡子相続」というような、現代の常識から大きな齟齬を生じている教義を頑なに守り続けてきた文化が影響し、徹底的に男尊女卑の史観が身についていますので、そのカウンターカルチャーとして発生したのがフェミニズム運動です。まぁ、教義を敬虔に守ること自体はまだ良いのですが、従わない人間をテロ行為で殺害するというのは、如何にもやりすぎですね。で、メイフラワー号でやってきたアメリカ入植者は現在の宗教勢力の礎なのですが、これの政治的発言力が恐ろしく強い為、先の大統領選では如何に彼らの票を取り入れるかもテーマになったのです。教義は守っても奴隷貿易は良かったのかいなとツッコミを入れたいのですが、彼ら曰くあの当時の黒人は人間ではなかったそうで、今でも黒人に対する偏見が強いのは事実です。日が暮れた路地裏で身なりの貧しい黒人がいたら、問答無用で警官は銃を突きつける始末です。奴隷貿易によって売り買いされた黒人の総数は千五百万人以上といわれますが、学会では大凡、一千万人前後とされているようです。その一方で三千万人に達するという説もあり、どちらにしろ一千万人でもとんでもない数なので、言い逃れは出来ないのですけれど。
     で、話は遡りますが、アメリカ独立宣言によって米国という国は晴れて独立の花道を飾ったわけですが、それが西暦1776年7月4日、ペンシルバニア州フィラデルフィアにて、リチャード・ヘンリー・リーがアメリカ独立宣言を声高に宣言したわけです。実はこの先鞭となった事件が「ボストン茶会事件」、つまりは「ボストン・ティー・パーティー」です。西暦1773年の事ですね。当時、米国は英国の植民地でしたが、宗主国に対する重課税で鬱憤が溜まっており、妙な話ではありますが、このお茶から発生した爆発がアメリカ独立運動の先鞭となったのは、やや大げさではありますが事実といえば事実でしょう(ピョートル大帝の髭税や窓税などの様に、あらゆる課税対象への全般的な重税により造反の心が芽生えたと考えた方が良さそうではありますが)。唯、正規英国軍とまともにやり合ったのでは、新興国の米国に勝ち目は薄いため、米国は英国と犬猿の仲である仏国に同盟と援助を求めます。そうしてアメリカ独立戦争の祝勝品として送られたのが「自由の女神」ですね。カナダが現在でも英連邦に属しているにも関わらず、同じく英国から遙々やってきた国境を接する真南の米国がカナダと融合せずに残っているのは、英国への反旗を翻したのが原因です。この事件が元で、大英帝国を除いた国々が自主的に紅茶から離れ、コーヒーの国内一般化に取り組んだ点も事実なので、この事件が各国の文化面に及ぼした影響というのは確かに大きいものがあります。水質的のも欧州の硬水は茶に向かず、逆にコーヒーに適していたのも、この動きに拍車を掛けました。ちなみに、四人の米国大統領の顔が彫られているラシュモア山国立記念公園は米国先住民の聖地で、まさに米国搾取政策の象徴といえるでしょうね。
     余談ですが、白人の住居奪取の象徴とされる大地は「カナダ」「アメリカ」「オーストラリア」の三国に代表されます。このうちカナダ先住民である「イヌイット」は現在、国連が提唱した正式な「先住民」としては認められていないものの、準自治州の設立が許され、そこでの迫害の話を耳にすることは余りありません。米国先住民である「インディアン」に対しても未だに謝罪の一言すらなく、「イヌイット」と同じくして正式な「先住民」としては認められていませんが、とってつけたような形で押し込まれながらも保護地域というものがあります。最も悲惨な目に遭っているのがオーストラリア先住民である「アボリジニィ」です。元々がオーストラリアという大地は大英帝国の罪人流刑地として使用されてきたためか極端な白人至上史観が強く、カナダや米国が苦痛を伴いながらも方策転換した事に対して、オーストラリアには今でも確実に白人以外の人種を排斥する動きがあります。更に、新教の影響が極めて強いため旧教の人間は白人であっても嫌われる傾向にあるようです。このオーストラリア独特の白人至上思想を「白豪主義」と呼びますが、どうして現在も顕在しているのかと断言できるかといいますと、まずは近年、燃え上がる人種差別問題を象徴するようにシドニーにてシドニー人種暴動が起きています。カレーバッシングでインド出身の方が不当な差別にあったのも記憶に新しいですね。そしてオーストラリア国立大学の経済学者アンドリュー・リー教授のグループが西暦2008年に纏めたレポートにて、「オーストラリア人の10人に1人が人種差別主義者である」と結論づけています。ここでいう「人種差別主義者」という言葉は「白人、ひいてはオーストラリア在住の白人至上主義者」と同義で、差別というよりは寧ろ、熱狂的な選民思想と断定しても良い傾向のものです。つまり誤解を恐れず明言するなら「オーストラリアの文化は例外なく優れており、有色人種がケチをつけるなどとは以ての外だ」というような感じになります。第二次インドシナ戦争にてベトナムに派兵したのも、それが影響しているとさえいわれるほどです。オーストラリア国民が何故、あそこまでヒステリックに捕鯨活動を敵視するのかという点も、そういった方面から見てみると実によく分かりますが、「自分たちが友達だと思っている動物を、黄色い下等な有色人種が殺して食卓に並べるのが我慢ならない」のではないかと邪推してしまうほど、白豪主義というものは臭いが強いのです(鯨油を欲して我が国に武力で開港を迫ったのは、他ならぬあなた方の朋友、米国でしょうに……)。そういう意味ではベルギーが強弁を以て日本に同調してくれるのは実に嬉しいですね。まぁ、実は鯨肉は鮪より下手で、捕鯨を許されても現在の日本の食卓がそこまで劇的に変わるとは思えないのですが(かといって高級料亭に並ぶのは絶対的におかしいわけです。大店が鯨に大金を払って割烹にするのは鯨肉が食されていた時代を鑑みれば狂気の沙汰です)、朝鮮半島の犬食は実はかなり美味なので、あれこそ非難される謂われはないのではないかなーとは個人的な感想です。流石に「悲惨に殺した犬ほど旨い」というのは迷信のような気がするのですけれど……。そんなことを言い出すと、大

    コメント by Mya — 2009/9/8 火曜日 @ 5:45:57

  4. (長文過ぎて初めて文が途中で切れました! 此度だけ連投のお許しを!)

    陸では市中の野良猫を捕まえて食用に卸していますしねぇ……。ペットですらお構いなしで籠の中という現状に、どうして文句を付けないのでしょうね? 生物が他種生物を補食せねば生きていけないにも関わらず、鯨だけ例外などいう意見も実にその場限りのヒステリックな意見で面白い限りです。鯨やイルカは守っても、カンガルーやアボリジニィは虐殺するわけですか。不思議な方々です。
     はい、再び話を北米大陸に戻しまして、米国に於いて新教教徒との確執という点を違う方面から見る方法もあります。ジョン・F・ケネディ米国大統領がダラスで非業の暗殺を遂げた一説で未だに陰謀説が消えないのは、彼がメイフラワー号でやってきた新教系の住民ではなく、旧教のアイルランド系である点が影響している為です。が、その彼が連邦法で兎にも角にも「公民権法」を明文化したことにより、人種差別の面で一定の歯止めがかかったのは間違いありません。やはり同じくして公民権運動家のキング牧師、マルコムXも暗殺されているのは、米国にてどれだけ選民思想が蔓延っていたかという証左でもあります。そして、未だ米国に於いては人種差別が完全に拭い去られたとは言い難い点もありますが、米国建国以来、初となる黒人の大学入学式には警官の護衛が付き添い、テレビ中継も付きました。公民権法が州法として通過したのは西暦1964年ですが、それまでは州法にて明確に「法によって黒人と白人の結婚が禁じられていた」事実があります。が、奴隷移民の家系ではない富裕層出身ではあるものの、それから40年で肌の黒い大統領が誕生したのは、人種差別という一面から見るのであれば、それは諸手を挙げて歓迎すべきなのでしょう(彼はキング牧師達とは異なり、富裕層のエリート出身なのですけれどね。しかも奴隷出身ではなくケニア系の純粋な富裕層の移民で、更に母親は白人種であったはずです。父はムスリムですが、ムスリムの親を持つ子は例外なくイスラム教を信仰しなければ、イスラム法が厳密に守られる国では死刑なのですが、バラク・オバマは紛れもない新教教徒です)。
     さて、大英帝国から分離して独立した米国では、特に奴隷を廃止すると収益が極端に傾いてしまう農業主体の南部に於いて、かなりの酷い人種差別が存在したのは事実です。が、公民権法の誕生から現在までの40年間で政府閣僚や州の要職に黒人が就くのは、現代ではさほど珍しくなくなりつつあります。これは長足の進歩と表現して差し支えないでしょう。では、同じ様な経路を辿ったオーストラリアではどうでしょうか? ハワードさんが「オーストラリアに人種差別はない!」と断言してましたが、本気で発言しているのなら失笑ものです。
     長谷川研究員が発言した、清国のアヘン戦争敗戦後の状況ですが、国体こそ存在したものの、事実として清国は名目上、西欧列強の植民地でありました。そのとんでもないその搾取っぷりは、それまで悠久なる千年の時を越え常に頂点に立ち続けてきた(漢人の統一国家王朝自体は漢朝と明朝くらいなので、厳密にいうと「頂点に立ち続けてきた」という表現は間違いなのですが、それを語り出すときりがないので……)彼の地の住民に心的外傷をとことん刷り込みます。このトラウマとなった屈辱的歴史観点からヒステリックなまでの排他性、侵略性、攻撃性を伴って「何が何でも兎に角、勝て。その為には何をどうしても構わない」と形振り構わず手法論を問わずに何でもしてくる禁じ手無しの遣り方を支える思想が、後に孫文によって明言される「中華思想」でして(「中華」という単語がそもそも、中華民国の誕生によって初めて使われだした言葉ですから)、これは大陸国が世界の中心であり、それ以外の文化に優位性が認められることはあってはならないという、ややもすれば強烈な選民思想と排他性を持った論です。大陸系移民を多く受け入れたオーストラリアの白豪主義と相性が良いわけですが、国威高揚の一環として「大中華思想」ともいわれますね。この思想を証明するかのように、大陸には「無孔不入 無悪不做」などという諺もありますが、これは「つけ入る隙のない孔はなく、できない悪事はない」という意味で、要は「何をしても最終的には勝った者勝ち」ということですね。ですから「一人の貧農が天子となる」という事象も、「大義名分すら無くして常に下克上を肯定する世」でありますので、かなりの事例が多く見受けられるわけです。思想としてどちらが正しいかという判断は実の所、如何とも申しがたいところではあります(我が国でも「勝てば官軍」「死人に口なし」といいますしね。事実、坂本龍馬に代表されるように、死んだら終わりです)が、「法治国家」という概念が護られにくいという特徴があるのは間違いないでしょう。一方で未だに絶対君主制の恐怖政治に近い政治運営がなされていますから、例えば天安門事件の総死者数が三百人と嘯いてみたり(堂々と自国民を戦車で轢き潰す辺り、「すげえな大陸」ともやしもん風にいってみたりします。「人民解放軍」って、実は「人民を天に解放する軍」ていう意味ではないでしょうな?)、一方で年間死刑執行者数が断トツで他の追随を許さぬほどの世界一位であったり、その死刑判決確定者を無理矢理、臓器移植のレシピエントに仕立てたり、大躍進政策に失敗して千万単位の死者を出してみたり、文化大革命と称してその失敗の晴らしどころを余所に向けてみたり、挙げ句の果てに「我が国で百万人単位の死者が出ることなど、事件にすらならない(周恩来か誰かの発言)」等と開き直ってみたり(なら「南京事件」なんて明らかに己らの創作で、しかも事件性すらないということになるやんけさ? と余りにも稚拙な論に呆れてしまいます……)。更に、歴代の大陸王朝も「朝貢」という形で傘下の国に貢ぎ物をさせていたのは事実ですし、王朝の中心民族が入れ替わったときのホロコーストっぷりは凄まじいものがありますから、同情はしかねるところです。その侵略性を示す例として、ロシア、インド、ベトナム、フィリピン、台湾、シンガポールなどとは現代も常に交戦体勢にありますし、内面である王朝の民族構造を見るとこちらもこちらで統一性が無く、例えば清朝だって満州族の王朝ですしね。元に至ってはお隣のモンゴルが建てた国ですから、そういう意味では他国に一度、全土を占領されてすらいます(実は元朝が歴代の大陸王朝で最も版図を広げた王朝であるのが皮肉ですね)。我が国が隋の時代、時の皇帝である煬帝に「日出ずる処の天子、日没する処の天子へ書を致す。つつがなきや」という書状にぶち切れた歴史もあり、つまりは「王は皇帝の認可を得てなるもの」だったため、ちっぽけな島国の王子が皇帝様と対等の口をきくか、と憤怒したわけです。これは裏を返せば、何処の国の王も我が国の皇帝よりも下の地位である、と自称しているわけです。はい、長々と語りましたが、これが「中華思想」ですね。台湾危機で米国の原子力空母に煮え湯を飲まされた経験から、隠しもしない侵略思想を剥き出しにした自国の空母竣工は問題がなくても、日本が総排水量たったの1万トンにしか満たないヘリ型空母(一応、空母の所有は国会答弁で現状、禁止されているので名目上は「護衛艦」という扱いになっております)「ひゅうが」の竣工完成にあそこまで隠しもしない敵愾心をぶつけてくる二面性は、いっそ清々しいですねぇ……。「俺は何でもやって良いが、まさか貴様如きが俺と同列などと思い上がってはいないだろうな?」というわけです。
     まぁ、アヘン戦争に於いてはそれまで自分たちが散々っぱら他国にしていたことを、他国にやり返されたからといって、そこで感情的になるのは些か大人らしくないなぁと感じてしまうわけです。長谷川研究員曰く「えー、でもヨーロッパ史って大体、こんな感じのきな臭さよ?」ですが、私からいわせますと「日本史が一本道過ぎて、実に分かりやすすぎる」以外にいいようがない気がしますねぇ……。何処をどう遡っても統一性がありますし、聖武天皇からは明確な文書が一貫して存在しておりますから。都合の悪い歴史を焚書するという事も余り行われておりませんしね。国体の成立も古く、成立後も一貫してそれを保ち続けておりますので、追いかけやすい追いかけやすい。それに対して、ローマ帝やギリシャ帝、オスマン・トルコやペルシャ朝、レコンキスタにコンスタンティノープルがイスタンブールに変わったり、ローマ法王が上だったり下だったり、メッカの領有権が行き来したり。もう、わけ分からん! と怒鳴りつけたいです、特に欧州史や中東史は。キリスト教徒同士が喧嘩して殺し合ったり(旧教と新教どころか、紀元前のグノーシス派からその直後のアリウス派と、おまいらどうしてそんなに殺し合いたがるのだと、疑問に思うくらい散々に殺し合ってますが、疑問の思うこと自体が日本人である所以なのでしょうね、恐らく)、ユダヤの受難の歴史はディアスポラ以来の三千年に渡るわけで、その鬱積した民族的な澱を理解できるのかと問われれば難しく、イスラエルとイスラム教徒との闘争は、実はユダヤそのものに問題があるのではなく、イスラエルの建国を許可した大英帝国と、大英帝国瓦解後にそれを継ぐ形で後押しした米国にあり、つまりは「あんな所にイスラエルを造ってしまったら、そりゃ喧嘩にもならぁな」というわけで「許可した君達が自国の領土から土地を拠出して独立させれば、血で血を洗うような今次は無かったんじゃありませんか?」という疑問が生じ、また五百年も遡れば国体すらありゃしませんというのが今のG20諸国ですらざらで、ではキリスト教がスターダムにのし上がったのは何が理由ですかと問われれば、パトロンのローマ皇帝コンスタンティヌス1世がローマ国国教としてキリスト教を認めたからに他ならぬものがありまして、実は権力の笠に着せた行為と取れなくもなく、しかしあの当時、コンスタンティヌス1世が洗礼を受けたのは現在の東方正教会からなのではないかな、とこっそり疑問を持ちつつも、ローマ皇帝の支援を受けたローマン・カトリックの拠点はやはりヴァチカンでありますし、しかしそれだけでローマン・カトリックを認めるに足るのかは専門家にでも聴かねばさっぱりです。ユダヤに関しては出エジプト記ではエジプトに、バビロン捕囚ではバビロニアから、イエス・キリストを処刑したのはユダヤ教徒で、裏切ったのもユダヤであるイスカリオテのユダであると、キリスト教徒ですらユダヤを迫害した歴史を持つのですが、キリスト教徒である彼らはころんとこれを忘れる始末。更に、キリスト教内の勢力争いで敗北して歴史の闇と消えたグノーシス派は、「実はイスカリオテのユダこそキリストの最高の弟子であった」という説を採っておりますので、これを採用されると教義がひっくり返ってしまう為に闇に葬られたとされておりますね。曰く新約聖書に記されるような多くの故事を持つ聡明な人間が、たかだか銀貨数十枚での裏切りに気付かないはずがなく、ユダは他ならぬキリストの命によって密告を命令されたという説ですね。実はイエス・キリストを神とせしめたのは、皮肉にもキリストを死刑へと追いやったとされるユダヤの聖パウロだったりします。彼が記した新約聖書の一節「ローマの信徒への手紙」にて、「神はキリストに血を流させ、信じる人のため、あがないの座に彼を公に示した」とありますが、実は「あがないの座」はユダヤの習慣で、年に一度、あがないの座と呼ばれる聖櫃に被せた純金の板に犠牲の羊の血を振りかけ、人々の罪を贖ったという行事にキリストの磔刑をそのまま当てはめたものです。ここからすると、ユダがキリストの命令で密告を命令されたという説も、あながち荒唐無稽な説ではない気もします。そんなわけでローマン・カトリックでは旧約聖書は、表向きは著者が判明しないアンソロジー形式ということで信憑性から第二聖典指定、新教では確か外典でしたか? ちと判別が付かないので、ご興味ある方は調べてみてくだされ。更にキリスト教全般は男性しか司教以上の身分になれませんし、そもそもキリスト教は「女神の存在を一切、認めていない」徹底的な男尊女卑です(当のローマン・カトリックは教義的な地位は社会的な地位に属さないため、これは差別思想ではないと仰っていますが、どう考えても御為ごかしですよねー……)。あの大地で最大の領土を誇った元王朝の国教がイスラム教だったことも忘れられてますからねぇ……。フランドルですとかオルレアンですとか、今は何処よソレ!? という地名がぞろぞろと……。更に淫靡を禁じるキリスト教徒が百年戦争にて戦争が小康状態に陥ると、出稼ぎと称して村々を襲い金に食料に女にと略奪の限りを尽くしたのも事実ですしね。日本の分国時代に於いてもそういう事態が全くなかったわけではないのですが、他ならぬキリスト教徒が率先してそういう行為に手を染めていたという事実が噴飯ものです。そもそも、禅宗と神道を尊ぶ私からすれば、これまでにキリスト教を名乗る人間が為してきた歴史を鑑みると、どうしても「キリスト教は単なる侵略の道具で、決して宗教じゃないよね?」という論が生まれてなりません。ケニヤの民俗学者ケニヤッタの言葉「白人がアフリカにやってきたとき、われわれは土地を持ち、彼らは聖書を持っていた。彼らはわれわれに目を閉じて祈ることを教えた。われわれが目を開いたとき、彼らは土地を持ち、われわれは聖書しか持っていなかった」という言がありますが、けだし名言ですな。人を救うためにある宗教が人を排除してどうするんですか、全く……。極めつけは、DNAの二重らせん構造を発見し、1962年のノーベル医学・生理学賞を共同受賞した米コールド・スプリング・ハーバー研究所会長のジェームズ・ワトソン博士(79)が「黒人は知能で白人に劣ることが何れ、DNAレベルで解明されるであろう」と発言し、新著宣伝のため訪問していた英国内で波紋を広げている点ですか。DNAが生物学の絶対的見知という証明はないのですが、一体、何処まで黒人が嫌いなのでしょうね……。織田弾正忠信長公はイタリア宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが連れていた黒人奴隷を初めて目にし、当初は全身に何かを塗りたくっているのかと思い、冬の寒空で念入りに行水させたものの肌の色は落ちず、そこで「肌の黒い人間が世にはいる」ということを理解し、何とアレッサンドロ・ヴァリニャーノに掛け合って彼を身請けし、極めつけは士分として自分の直参として迎え入れ、「弥助」という名を与えた凄まじいです史実が残っております。信長公は弥助に衣食住を何一つ不自由させず、信忠以下の国主である自分の息子達にすら一定の礼を通させたため、弥助も多分にこれに感謝し、彼の忠臣であり続けたといいます。が、本能寺の変で信長公と共に消息不明となり、生存してインドに放逐されたともいわれますが、残念ながら消息は不明となっています。
     まぁ、後者の信長公の対応のように、白人種に対する黒人種への悲惨な振る舞いへの憤りは、あくまで仏教的史観を持つ私の個人的意見ではあります。仏教にも神道にも、基本的に「絶対悪」という存在はありませんからね。「悪」が無ければ相対論でしかない「正義」も存在し得ないわけで、正義なんて口から砂が出そうな言葉、恥ずかしすぎて口にできません。変に大義名分を振りかざして正義を気取るくらいなら、寧ろ私は悪人で結構です。
     実は、大友宗麟辺りが活躍していた時代の九州は、植民地化されていた他国と余り変わらず「宣教師が領民をキリスト教に帰依させ、間接的に支配する」手法にまんまと嵌っておりました。その為、一時期は完全に九州がポルトガルの植民地と化していた時期があります。まぁ、例に漏れず日本人も多くが奴隷とされて海外に輸出していた記述が残っておるのですよ。秀吉が九州征伐を終えて謁見したガスパール・コエリョとの会見直後、突如として秀吉はバテレン追放令を発布しますが、更にコエリョを直々に召還して弾劾しておりますので、コエリョとの会談で何があったかはうっすらとですが予想がつきますね……。
     こういった事例について、更に確実な史料が残っている史実を出すのなら、長く続く苛政から他に縋るものがないが故に、天草、島原の民は島原の乱を起こし、キリストの教えが自分たちを救うと心底から信じて、原城に籠城しつつオランダやポルトガルに救援の依頼を出していました。が、あろう事か徳川幕府と唯一、コネクションを持つオランダは原城に外洋からガレオン船で艦砲射撃をかますという荒技をかます始末(マジです)。幕府が大金を出して依頼したのですが、少なくとも、あの時代のオランダにとっては「教義より金」だったわけです(インドネシアへの対応を見る限り、その節操の無さは現在も変わっていないようですが。インドネシア独立の件で日本人は割と逆恨みされているようなので、少し注意が必要かも知れません)。日本史上でも最も兵消耗率が高かった(文字通り一揆側は「皆殺し」の呈であったと伝え聞きます)島原の乱の鎮圧後、初代代官である三河武士の鈴木重成によって復興がなされていきますが(天草の地は天領に変更。幕府直轄となったので「大名」ではなく「代官」が治めました)、その兄であり三河旗本から大阪城で起こした儒者との大喧嘩に、一転して出家し曹洞宗の禅僧となったという風変わりな来歴を持つ鈴木正三が、民衆の精神的復興の旗印として弟の招聘に応じ、彼の地に禅の教えを広めております。結果として「島原の乱以降も天草の地でキリスト教徒であり続けた宗徒は殆どいない」事となりました。本当にキリスト教が民衆を救うのであれば、民は仏教に帰依するわけがないのですから、宗教の有り様を私は此処に見いだす次第です(正三禅師も「念仏で腹は膨らまん」というようなことをストレートに発言しておりますし、禅宗はそういう現実的なところがいいなぁと常々、思います)。鈴木正三禅師の教えは更にその禅宗の中でも頭一つ抜いて独特で、当時から「仁王禅」ですとか「正三禅」とか一風、変わった名で呼ばれておりました。曹洞宗門人は同じ禅宗でも臨済宗を見れば、歴史に卓越した名を残す人物を全くといっていいほど輩出していませんが、市井のレベルではかなり土台を下支えしている点が、個人的にとても好みです。鈴木正三禅師も色々と調べてみたいのですが、第一級史料である「鈴木正三道人全集」がとんでもない稀覯本でして、研究者でもないのに本一冊に対して十万円は出せないと涙を呑みました(涙)。鈴木正三禅師の記したキリスト教弾劾書「破切支丹」は、かなり理論として優れていると評判ですが、鈴木正三禅師は「他教にもかなり寛大であった」とのお話ですので、島原の悲劇を再来させないためか、キリスト教の教義自体は批難しているようですね。鈴木兄弟が行った、弟重成の「物質面での生活環境整備」と、兄正三が行った「精神面での教育情操整備」は現代にも多分に見聞すべき所があり、特に重成公は幕府の課税に対して当面の減税を幕府に再三、訴えたのですが聞き入れてもらえず、何と最終的に訴状を残して江戸の屋敷にて割腹自殺で果てます。享年六十六歳。これに慌てた幕府は急遽に減免を検討し、遂に決定します。重成公の跡は彼の養子であり正三禅師の実子である重祐が継ぎ、正三禅師がこの後継人に付きます。正三禅師自身は「人が正道を外さぬというなら、別段、仏の教えなど必要はない。好きなように生きて良し」と鷹揚なことを仰っておりますし、御自身が帰依する曹洞宗に対しても「布教勝手たるべし」と、他教の伝道を保証したので、敬虔なキリスト教徒であったはずの天草に、広く深く仏教が浸透することとなります。天草の領民も、天草が復興に至ったのは重成・正三・重辰の三名に渡る政の成果だと深い謝意と礼を抱き、重成、正三、重辰の三名を「鈴木大明神」として島内の各地に祭り、現本渡市内にはこの三名を祭神として、天草地方最大の境域をもつ鈴木神社を造営するに至りました。手前味噌ですが私自身も禅宗徒ですので「個人の持つ信仰と、他者に教えを説く宗教とは似て全く非なるものである」と常日頃から思っていることです。信仰したいのなら別段、誰に断りを入れるでもなく個人で好きに信仰すればいいのですが、それを他者に押し付ける道理は何処にもありはしません。信仰とは個人の心以外に何処にも宿るものではなく、要約しますと、私の信心は「自己を高めるは大いに良し。但し他者の足を引っ張るべからず」という一言に尽きます。この思想は基本的に禅宗徒が多く持ちますが、概ね「普通」の仏教徒は「他人を蹴落としてまで得る利を尊いとは思わない」所があります(極一部の仏教には「折伏」と呼ばれる過激な思想もありますが、個人的に教えを強要する宗派に対して仏教の名を名乗らせたくはないですねぇ……)。ですから、現代資本主義の生臭い事件を見ていると、どんだけー? と逆にその人間の心の有り様に疑問を持ってしまうことも多いです。あちらの人間はどうも、何かにはまりこむと人性というものを欠落してしまう傾向にある模様で、例えば何処までも領土的野心に突き動かされるですとか、自分の信心を世間に知らしめるために手段を選ばないですとか、金を儲け始めると種銭が無くなるまでひたすら火遊びを続けまくるですとかに代表されますが、「良い方向に熱を向けてくれる」なら良いのですが、ノーベルのダイナマイト然り、ブラウンのV2ロケット然り、どうして純粋な学術的探究から生まれた技術を全て軍事転用して、あまつさえそれを現実に使用しなければ気が済まないのかと、その妄執に背筋が寒くなります(元々「宇宙開発」は成層圏に弾道を乗せる「大陸間弾道弾」の開発を進めるためのプロパガンダでして行われたものなのですが、人類初の宇宙飛行は旧ソ連のスプートニク1号です。こちらは無人の人工衛星でしたが、史上初となる知的生命体の射出もやはり旧ソ連が作製したスプートニク2号、これに乗せられたのは「クドリャフカ」と呼ばれる雌の子犬でした。但し、彼女に手渡された切符は片道分のみで、数日間の生存は遠隔信号にて確認されていたものの、二度と生きて地球の大地を踏むことはありませんでした。スプートニク1号の成功報道に沫を食った米国は、後の世に「スプートニク・ショック」と名付けられるくらいの狼狽振りを見せ、慌てて自国産ロケットのヴァンガードを打ち上げますが、急拵えのロケットが爆発したり、ペイロード・ベイに収納した人工衛星が周回軌道高度に達しなかったり、政府がそれをひた隠しにして国威高揚のために「成功した!」と触れ回ったり、結局はフォン・ブラウン博士らドイツからの亡命研究者が主体となって設計したレッドストーンに人工衛星射出の先を越される始末。一応はNASAによるアポロ計画、西暦1969年に月への有人着陸を成功させたアポロ11号によって漸く宇宙開発の名誉は挽回されたわけですが、NASAの初代局長も実はフォン・ブラウン博士だったり……。米国宇宙技術は結局、純粋なドイツ人の手によってその礎を築かれたことになるわけです。人類初の有人宇宙飛行も、ガガーリンが乗ったヴォストークですしね。しばしば、純粋な学術探究に一番向いている国はロシアだといわれることがあります。これは「発明した技術や理論が金に直結しなくても資金が出して貰えやすい」土壌にあるためだといわれますが、数学とか物理はスラブ系の受賞者が割と目立ちます。ノーベル賞に数学部門がないことから設立されたといわれるフィールズ賞ですが、旧ソ連を含めたロシア出身の研究者ですと、受賞者が世界三位の八名に上ります。その中で今現在、最も有名なのは間違いなくグリゴリー・ペレルマン博士でしょう。彼が解いたのは米国のクレイ数学研究所によって西暦1904年、「100万ドルの懸賞金」がかけられた七つの難題のうちの一つ「ポアンカレ予想」ですが、その証明論文を、その二十一世紀に入ってから二年後に、こそっとインターネット上の論文サイトに掲載して、「えー、また解けたとかいういつものデマかよー?」と笑いものにしようとした数学者の面目を、悉くへし折った事で有名です。後にこの論文を「ペレルマン論文」と業界は呼び習わす事になりますが、件の証明論文に対して各国の学者はまず「間違いを指摘して揶揄するための余興的な精査を行った」のですが、何と一年以上かけても「その証明を否定できる要素が何処にも見つからない」ことに慌てふたき、その段階になって世界各国が漸く、本腰を入れて論文の精査に立ち上がります。そして「立証が正しいことを証明する為の検証論文」が出そろったのは何と、その三年後の2006年7月。各研究チームは「ペレルマン論文は基本的に正しく致命的誤りは無かった。また細部のギャップについてもペレルマンの手法によって修正可能であったという結論で一致した」と発表、急遽、グリゴリー・ペレルマン博士を米国に招いて解説を頼みましたが、それを聞いた数学者は一様に「まず、ポアンカレ予想を解かれた事に落胆し、それがトポロジーではなく微分幾何学を使って解かれた事に落胆し、そしてその解の解説が全く理解できない事に落胆した」と、自身の学者としての数学三重苦を口々に嘆いたのです。というのも、現在の最先端数学者は、物理学の最先端思想として燦然と降臨していた「トポロジ」を用いてこの難題に挑戦していたため、グリゴリー・ペレルマン博士が論文に多用した微分幾何学などの古典数学と、熱物理学、運動力学など物理学に対する深い造詣を持ち合わせていなかったからです。そして彼の名声を良くも悪くも不動にした極めつけは、グリゴリー・ペレルマン博士本人が「フィールズ賞受賞を辞退した」事です。これはフィールズ賞が設立されてから史上、初となることで、グリゴリー・ペレルマン博士曰く「自分の証明が正しければ賞は必要ない」とのこと。雑誌の取材に対してもぞんざいで、「有名になると何も言えなくなってしまう」という発言を残しています。その後に送られた他の賞の数々にも全く見向きせず、全ての受賞と賞金を辞退、その後も故郷の母親のアパートに籠もり、四六時中家から顔を出すことなく、引きこもっているという数学界上、生きる伝説となっている男性なのです。大学卒業までは、実に社交的で笑顔の絶えない人物であったという証言があるのですが、果たして何が彼を変えてしまったのか……。唯、数学者としての探求心までなくしてしまったわけではないらしく、現在は「ケーラー・アインシュタイン計量の存在問題」に取り組んでいるとのこと。ちなみにミレニアム懸賞問題で解決しているのは、百余年の年月をかけてもこの「ポアンカレ予想」のみです。共産革命から百年に渡る共産党政権ですっかり変貌してしまったロシアなのですが、純粋な学術に対しては割と真摯な様子で、例えばロシア科学アカデミーなんかは、三百年間も一貫して学術探究にのみ情熱を費やしてきた研究機関ですしね)。(ついでに今話題の次期導入戦闘機について言及しておきますが、私は空軍に関しては全くの門外漢なのをまずはお断りしておくとしまして、各機の詳細なポテンシャルの比較は抜きとして確実な情報のみを。まず世間で騒がれている「第五世代」という単語は、実はF-22がとんだ失敗作で、その印象を引きずられないためにその次期主力開発機であるF-35を「F-22とは関係ないし、F-22だってSu-27やユーロファイター・トランシェ3と同レベルなんだよ?」と印象付けるために、ロッキード・マーティンとボーイングが勝手に名付けただけでの単なるマーケティング戦略です。この単語に機体性能は全く関係なく、ロールアウトの時期をかち合わせているだけで、F-22を「第四世代」と呼称していることも、F-35を「第五世代」と呼称していることもまるで根拠無しです。これではさもロールアウト後、即座に生産停止に追い込まれたF-22がユーロファイターに並ぶような口ぶりではないですか。F-35にしたところで、「第五世代」がいざ、「第四世代」とされている前時代の戦闘機にまたもや負けたら大いに笑いものです。「ステルス性でF-22が良いなぁ」と政府高官は仰ってますが、ステルス性は基本的に先制攻撃を行う攻撃機に突出して求められるもので、我が国の戦闘機は軍政的には少し前のスウェーデンと同等に「敵国の攻撃行動に対する防衛、反撃措置」にのみ用いられるので、必要なのは迎撃戦闘能力です。多目的性能を謳ったマルチロール機としても、性能は戦闘機と攻撃機の中間に位置し何より本体価格がF-22に比べて格段に安く、しかもブラックボックス無しで国産のアビオニクスも搭載許可、極めつけはF-16Jの様に妙なリミッターを一切、設けない状態でのライセンス生産OKと来たら、どう考えてもユーロファイターに決まりなんですけどね。現在、国内で稼働している三菱のF-16J整備ラインもそのまま活用できますし、空自の出番が来た時点で既に状況は有事下なのですから、よしんばF-35を購入できたとしても、ライセンス生産でなければ、破損機を、太平洋を挟んで遠く離れた米国まで持ち込んで暢気に修理しなければなりません。その間にどう考えても本丸が落ちますよ。しかもF-35はまだ完成すらしていないのですよ? この点は極めて重要で、絵に描いた餅であるF-35を待っている方は、実は、生産計画からオランダが抜けた事による穴埋めの資金目当てだけに日本を狙っているという政治目的があることに、早く気が付いて戴きたいものです。しかもF-22は統計的に信頼性が他ならぬガガーリンを死亡させたMiG-15改良型よりも低く、更に模擬戦でテスト・パイロットがF-16のベテランパイロットに負けているではありませんか。トライアルで最も求められる信頼性が20世紀半ばの主力戦闘機より低く、しかもパイロットの腕でカバーできる程度の性能差しかない次世代戦闘機の何処に必要性を見いだせというのでしょうか……。下手をすれば、サーブのグリペンを導入した方が良いのではないかとすら思えてきます。そして日本が立ち上げた次世代戦闘機計画が一度、頓挫した過去に米国が日本にて戦闘機技術が確立されるのを恐れてF-16Jを無理矢理、押し付けられたという事実があることを決して忘れないでください。数年後には従来型のスフォーイSu-27系パクリ機と、西暦2010年頃竣工完了予定の空母搭載型スフォーイSu-30系パクリ機である「殲撃」シリーズが完全なる仮想敵になるというのに、暢気にまぁ……)。キリスト教も旧教はどちらかといえば禁欲的ですが、新教はかなり物欲を肯定していますからねー……。どんな財産も基本的に一代で使い尽くすことは可能ですが、つましく暮らせば資産の減りようは極力、抑えられるわけですが、逆にそういう暮らし方をして「十代かかっても使い切れないような所得を得て何をするんだ?」と個人的には実に疑問に思うわけですよ。殊に禅宗徒は「因果応報」「自力本願」を旨としますから、「自己鍛錬」「他者救済」に力を注ぎます。「やったらやり返される」とこを前提としますので、「自分は他人に何をしても良いが、同じことを他人からやられるとキレる」西欧人の思考はよく分からんです。最近では日本人にもそういう人間が増えている傾向にあるようではありますが、そういう人間の考えることもよく分からないです。身代が傾かない程度に暮らして行ければ、それ以上に求めるものは特にないような気がするのですが、実に不思議です。
     というように、私は日本史の研究しやすさとどうしても他国史を比較してしまい、世界史については完璧に匙を投げました。あんなもの、きちんと政治や宗教と関連づけて覚えられませんてば。しかも、日本人の史観からは到底、理解できないようなことばかりが起こっている。ここ十年くらいは、逆に「これは国として日本の有り様の方が異常なのだな……」と思い直しておりますが……。更に私は暗記科目が苦手なので、物事をきちんと連続して覚えないとさっぱりわかめなのです。1→2→3→……と思い出していく連続アクセス方式は割と得意なのですが、ランダム・アクセス方式になると途端に、シーク速度もデータ転送速度もキャッシュの使い方もガクンと効率が落ちます。何故か余所のお国の方々は、宗教やイデオロギーが係ると、どちらかが完全に殲滅され尽くされるまで戦闘をやめない傾向があるので、どうしても戦況が泥濘化してしまいがちです。平和に導くための教えなら兎も角、戦争と虐殺を招くだけの教えをそこまで拘泥して守る必要があるのでしょうか……? 異なる一神教を譲らない民族同士が一度でも戦闘状態に陥れば、戦争から足抜けできないに決まっていますのに、やはり一元論に陥って抜け出せないですね。何が何でも「あっちが悪だ」と譲らないのですよ、一神教の方々は。そうなれば、アラブの独立を約束しておきながら、一方で中東のエルサレムを含むど真ん中にイスラエルの入植に強行した米国に矛先が向くのも当然のことで、本当に失礼を承知で申し上げますが、中東戦争を招いた張本人がワールドトレードセンター・ビルに航空機が突っ込み三千人の死者を出したとて、イスラエルと周辺のアラブ諸国が流した血の量に比べれば、微々たるものでしょう……。本を正せば、ホメイニ師が行ったイラン革命によるイスラム原理主義化ですら米国が招いた自業自得ですし(中東のドーベルマンとして仕上げるため、散々に内政干渉と国家転覆を行ってきた事実を忘れたとはいわせません)、それはイランも米国に対して強行に出るはずですよ。更に旧ソ連のアフガニスタン侵攻を阻止するために、日中戦争の如く水面下でゲリラに工作員を派遣していて軍事指導や作戦指導を行っていた事実が、翻って現在の米軍によるアフガニスタン侵攻に繋がっているわけですから、これもまた因果応報。平和主義者でありながら「パンジシールの獅子」とまで呼ばれた辣腕の政治家でかつ戦巧者のマスード将軍が暗殺された時点で、既にアフガニスタンの自発的な平定は那由他の彼方に遠ざかったと称しても良いかと思われます。お得意の空爆支援すら録に効果を上げられない要害のアフガニスタンを、兵装に頼り切った物量戦しか能がない米陸軍が正面きって精強で知られるアフガニスタンの熟練兵相手と衝突しても、そう易々と墜とせるとは到底思えません。掃討作戦を実行しては死者を出し、撤収してもどこからともなく出現する遊撃兵に日夜、怯える。兵拠点を築いては長大な戦線を構築し囲い込んで掃討していく従来型の戦法は、隠蔽拠点が多すぎるアフガニスタンの大地には通用しません。「全土を占領して和平宣言」をしたところで、一旦は小康状態を装うかも知れませんが、反米組織は別段、拠点の確保に重きを置いておりませんから、逆に占領させて兵密度を散らし、撤兵を始めた尻から防衛面の手薄な部隊を発見次第、奇襲して捕虜を取り物資を鹵獲して、そのまま逃走。身の隠蔽場所が山ほどあるアフガニスタンでは「占領」に大してさして意味はなく、此程までゲリラ戦に有効な土地は他にそうありません。高価な無人偵察機をどれだけ投入しても、地形が邪魔をして効果を上げられず、サイファーなんかはもっと戦果が見込めないでしょうね……。ウォール街との暗い噂が全く消えないオバマさんのお手並み拝見というところですが、「やっぱり黒人は駄目だ」と黒人社会全体に影響を及ぼすような大コケだけはして欲しくないものです。しそうですけど。
     えー、最後ですが、「東インド会社」は決して「大英帝国だけが建設したわけではない」点に注意です。ロシアもオランダもフランスもオランダも同様に、国策会社に近い「東インド会社」を設立しています。唯、「阿片貿易の販路を遡ると大英帝国の東インド会社に辿り着く」だけで、他にも余所の国が設立した「西インド会社」なんてものもありますし、そもそもここで指す「インド」は現在のインド共和国を明確に指すわけではない点も注意が必要です。インドが大英帝国の植民地であったために、混合しやすいのですね。まぁ、高校までの世界史的では別段、勘違いをしていても全く問題はないわけですし(要はテストで間違えなければ良いわけですから、勘違いをしていても結果的に○を貰えます。それ以上はそちら方面の趣味人でなければ一生、関わることはないでしょう)。現在の我々が想像する「植民地経営」の手法を築いたのが大英帝国なので、その影響もあるのでしょうか?
     そういうわけで、無駄な蘊蓄を含めた長谷川研究員の補足講座でした。このレベルなら何とか、私でも解説できるくらいの知識はあるようです。

    コメント by Mya — 2009/9/8 火曜日 @ 5:48:36

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