本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 短編集3 12月14日発売!
特典SS他、新規短編&中編も多数収録!

:: 2010/4/27 火曜日::

■[漫画]痛切な過去、痛烈な現在「GUNSLINGER GIRL」12巻

GUNSLINGER GIRL 12 (電撃コミックス)
著者/訳者:相田 裕
出版社:アスキー・メディアワークス( 2010-04-27 )
定価:¥ 578
Amazon価格:¥ 578
コミック ( ページ )
ISBN-10 : 4048685678
ISBN-13 : 9784048685672
作者サイト:JEWEL BOX

この先に確定した絶望という名の未来が待ち受けているのを知りながら、
それでも読み進めてしまう我々読者も業が深いとは思うのですが、
何より一番業を背負っているのはジャンとジョゼの兄弟である事に間違いなく、
だからこそジョゼは遂に最後の一線を越えてしまうんでしょうね…

かつてあった、ジャンとジョゼの婚約者が幸せだった時間。
末妹のエンリカに手を焼きながらも体当たりでぶつかり、
徐々に心をほぐすことに成功していたソフィアに容赦なく襲い掛かるテロという名の理不尽。
結末は過去のことだから判ってはいたはずなんだけど、辛いものは辛いです。
特にあのジョゼの魂の叫びを聞いたら悲しくてたまりません。

そして始めは意外だったけど、しばらくすると納得したのがジャンとジョゼの在り様の違い。
連載当初は非情のジャンと情に深いジョゼ、という兄弟に見えたけど、
その実は、情に目覚めたジャンと情を捨てようとしていたジョゼがテロで180度転換したという事実。
二人の変わり様を見てると止めどない哀しみを感じずにはいられません。

でもそれだけでは終わらず、そのテロを首謀したジャコモの帰還を契機に、
幻覚を見るようになり、遂に一線を越えてしまうジョゼ。
大人の都合に翻弄され、張りぼての情にほだされるヘンリエッタが本当に可哀想で…
いつまでも続く哀しみの連鎖にはホント辛いものがありますよね…
これがテロか…

関連エントリー


GUNSLINGER GIRL(14) (DC) (電撃コミックス)著者/訳者:相田 裕出版社:アスキー・メディアワー…

GUNSLINGER GIRL 13 (電撃コミックス)著者/訳者:相田 裕出版社:アスキー・メディアワークス( 20…

GUNSLINGER GIRL 11 (電撃コミックス)著者/訳者:相田 裕出版社:アスキー・メディアワークス( 20…

GUNSLINGER GIRL 10 with Libretto! (電撃コミックス)著者/訳者:相田裕出版社:アスキ…

GUNSLINGER GIRL(15) with Libretto!II (電撃コミックス)著者/訳者:相田裕出版社:…


 Comments (1)

1件のコメント »

  1.  十年くらい前、ソ連崩壊直前くらいまでザッとイタリアのテロ史を追ってみたことがあるのですが、七十年代から八十年代にかけての紅い旅団や赤軍欧州方面地下活動部隊などが特に活発に活動していた頃、イタリアでは年間に政府要人、警察や軍の高官、裁判官といった要職にある人間が「特定職の要職にある」という理由だけで年に三人は殺されていた時代が長年に渡って存在し、イデオロギーという存在そのものに改めて戦慄したことがあります……。実際にシチリア島辺りの離島で高速道路爆破による検事殺害事件も実在の事件ですな。今世紀に入って小火器の発達、般化による攻勢側の狙撃阻止に対して防弾硝子を発明したら、仕掛ける側はエンジンルームやトランクルームを爆弾によって爆破するようになります。これに対して防衛側が車体強度を上げて10Kg級TNT爆弾の爆破に耐えるような車体フレームを採用したら、今度は車体毎吹き飛ばして車体が無事なままで中の人間は殺害するという具合に、結局は二次大戦によって新たに戦争に「兵器水準」という概念が持ち込まれたことによって、テロリズムという発想は玉砕することすら叶わなくなった劣勢側の、ある種の驚嘆ともいえる環境適応で全く違った変貌を遂げたと捉えることが出来るかも知れません。ですから究極的な話、「テロリズムは人類に対する反逆である」という型に填った現代常識にすら私は些かの疑問を抱く所ではあります。第二次インドシナ戦争然り、グアデマラやエルサルバトル然り、ゲバラ然りホーチミン然りカストロ然り。

     但し、テロリズムがマキャベリズムに直結した場合、このGUNSLINGERGIRLのジャコモの様に「狡猾に殺人の術のみに長け、殺人そのものに生きる意義を費やし続ける」という殺人快楽者すらも有効手段として用いた場合、それこそ手段と目的が入れ替わっているのが実際でもあります。何故ならよしんばそれによって目的が達成出来たとしても、殺人快楽者を肯定したことによって以後の社会形成は絶対不可能だからですね。最近で最も著名な本末転倒はパキスタンとかアフガニスタンですか。彼の地では現在、極端に申してイスラム教徒以外の人間のクビに例外なく賞金が懸かっていますが(白人だと値が張り、米兵だと尚更。路肩に爆弾を仕掛けるだけで報酬が下りるようですね)、それを実行する多くは食うに困った圧倒的多数派の貧困層だったりします。タリバーンが悪か米軍が悪かといったそういう断定は出来かねますが、該当国の国民を飢えて無差別テロに走らせる為に軍事介入では決して無い筈なのです……(タリバーンやアルカイーダの形成も遡れば東西冷戦構造の残滓といえるので、もう何が何だか)。

     迂遠になりましたがフランさんが仰る通り、最たる悲劇は無差別テロに巻き込まれた無関係の民衆です(あ、前記の通り、一般的な「テロ」を私は「無差別テロ」とします。各論ありますが、私は思想的なテロリズムと手法的なテロリズムを分け、更に為政者による圧倒的な権限を行使した政治的なテロルも分けます)。「対話による解決」とか、事態が極めて複雑化し、怨恨の堆積が余りに大きすぎて、そんなことを口に出すだけで銃弾が飛んでくる事情も考慮しなければなりません。世の中には北アイルランド問題のように、一つの原因で千年近くも殺し合いを続ける民族や国家もありますが……。無辜な民衆の命すらが道具として利用されている現実は絶対に知る必要があるでしょうし、ディアスポラに例示されるように、此処まで来ると誰が悪いとか何が原因だとか、そういう話ですら無くなってしまいますよね……。しかし、愛する存在を理不尽な理由で亡くして悲しまない人はいないのです。ああ、ビアーチェ……(涙)。

    コメント by Mya — 2010/4/29 木曜日 @ 20:06:53

RSS feed for comments on this post. TrackBack URL

Leave a comment

HTML convert time: 0.496 sec. Powered by WordPress